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能福寺にある「月輪影殿」について、 これは「玉葉」の作者・九条兼実と なんらかの関係があるのか?(神戸市立中央図書館)

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神戸市兵庫区にある能福寺の「月輪影殿(つきのわえいでん)」は、九条兼実の子孫である九条家の拝殿だった。 昭和29年(1954)に、京都東山の月輪御陵にあった京都九条家拝殿「月輪影殿」を、昭和20年(1945)に戦災で焼失した能福寺の本殿として、九条家より拝領移築された。 回答プロセス:まず能福寺の「月輪影殿」について調べると、下記の資料に次のような記載があり。 『神戸十三仏めぐり』(神戸十三仏霊場会編、朱鷺書房、お問い合わせ番号PV:6000202522) p.80-83の「能福寺」の項に 「現在の本堂は、昭和二十九年、京都東山の月輪御陵にあった月輪影殿を、全国二百五十寺の中から当寺が選ばれて九条家より拝領移築したもので、歴代天皇陛下が京都に行幸された砌には、必ずご参拝された由緒ある建物である。屋根の丸みが美しい入母屋唐破風付(御所造)銅版葺で、瓦や釘隠しに九条家の紋が入っている。」(p82) 『兵庫のご利益ガイド』(須田京介著、神戸新聞総合出版センター、お問い合わせ番号PV:0005215952) p.41「能福寺」の項に 「能福寺も昭和二〇年三月神戸大空襲で再度七堂伽藍を全焼した。現在の本堂は、京都東山の月輪御陵の拝殿「月輪影殿」を昭和二九年、大正天皇のお妃貞明皇后の御里方九条家より拝領移築したものである。歴代天皇の参拝された由緒ある建物。」 『兵庫県大百科事典 下』(神戸新聞出版センター編・発行、お問い合わせ番号PV:0000631031) p.484「能福寺」の項目に 「昭和20年3月の神戸大空襲で大部分を焼失。昭和29年に本堂が、・・・時の住職弘善により再建されている。」 『西国・新西国札所めぐり』(須藤一著、創元社、お問い合わせ番号PV:0005094505) p.217「能福寺」の項目に 「いまの能福寺は山門の正面にあるのが本堂で、この本堂は戦災で焼けたあと昭和二十九年に、京都東山の月輪(つきのわ)御陵にあった拝殿を移築したもの。」 『全国寺院名鑑(改定版第2版) 3 近畿篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会編・発行、お問い合 わせ番号PV:0000272524)p.236「能福寺」の項目に 「建物本堂八〇坪昭和二十九年京都九条家拝殿「月輪影殿」を移築」 このほか『大阪神戸のお寺神社謎とき散歩』(中村清著、廣済堂出版、お問い合わせ番号PV:6000199926)、 『杜を訪ねて ひょうごの神社とお寺 上』(神戸新聞文化部編、神戸新聞総合出版センター、お問い合わせ番号PV:0005066330)にも記載あり。 次に月輪御陵、九条家について調べた。 月輪御陵については、 『国史大辞典 9』(国史大辞典編集委員会編、吉川弘文館、お問い合わせ番号PV:0005045443)p.739-740に 「つきのわのみささぎ 月輪陵 四条天皇以下二十方の陵を月輪陵、・・・京都市東山区今熊野泉山町にあり、泉湧寺後背の東山連峰月輪山の山裾を開いて領域としたもので・・・当所に陵が設けられたのは四条天皇がはじめで、泉涌寺開山俊芿(しゅんじょう)との縁故によるものであった。」 とあり。 四条天皇は、『国史大辞典 6』(お問い合わせ番号PV:0005052511)のp.781に 「一二三二-四二在位。・・・寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原竴子(九条道家の娘)。・・・貞永元年(一二三二)・・・二歳で即位。母方の縁者西園寺公経・九条道家らが権勢を振るったが、天皇は仁治三年(一二四二)正月九日、在位九年余りにして閑院内裏に没した。・・・陵は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。」 とあり、月輪陵のはじまりである四条天皇が九条道家の孫であったことがわかる。 九条家については、 『国史大辞典 4』(お問い合わせ番号PV:0005052509)p.767に 「五摂家の一つ。藤原氏北家の嫡流より分かれた。平安時代末ごろ、関白藤原忠通の三男兼実は、京都九条の地に邸宅(九条殿)を構えていたことにより、九条大臣と呼ばれ、やがて子孫に至るまでその流は九条を姓とするに至った。…兼実の孫九条道家の代には、…そして以後明治維新に至るまでこの五摂家より摂政・関白が任ぜられることとなった。明治維新後は華族に列せられ、明治十七年(一八八四)道孝のとき他の五摂家とともに公爵を授けられたが、第二次世界大戦後華族制度廃止とともにその特権を失った。」 とあり、九条兼実から道家、道孝までの系図も掲載。 また九条兼実は「月輪殿…ともよばれた。」(同上書、p.765)とあり。 また、『国史大辞典 9』のp.871「ていめいこうごう 貞明皇后」の項目には、 「一八八四-一九五一 大正時代の皇后。名は節子(さだこ)。公爵九条道孝の四女。」 とあり。 参考資料:『神戸十三仏めぐり』 神戸十三仏霊場会編、朱鷺書房, (0011=157=、186A) 参考資料:『兵庫のご利益ガイド』 須田京介著、神戸新聞総合出版センター, (0003=726=、175A) 参考資料:『西国・新西国札所めぐり』 須藤一著、創元社, (185=L9=、185A) 参考資料:『全国寺院名鑑(改定版第2版) 3 近畿篇』 全日本仏教会寺院名鑑刊行会編・発行, (185=25=3、RR) 参考資料:『大阪神戸のお寺神社謎とき散歩』 中村清著、廣済堂出版, (185=M8=、185A) 参考資料:『杜を訪ねて ひょうごの神社とお寺 上』 神戸新聞文化部編、神戸新聞総合出版センター, (0001=19=1、175A) 参考資料:『国史大辞典』 国史大辞典編集委員会編、吉川弘文館, (2103=L6=、RR)

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