(1)加賀藩の茜染は、延宝2年(1674)9月5代藩主前田綱紀が但馬国出石より茜屋理右衛門を招いて始まったが、染法が秘伝で、理右衛門の死後、さらに弟の雪斎を迎え養子をとらせたが技術を伝承させることがかなわなかったとされている(『石川県史』第3編 石川県編 石川県図書館協会 1974 K209/24/3 p698-699、『友禅研究』野村正治郎編 野村正治郎 1920.8 K753/36 p75-78)
※このほか、茜屋については以下に記事がある。
・享保五年五月十六日「町奉行等茜染を専業とする茜屋理右衛門没後の状況を答申す」(『加賀藩史料』第6編 p206)
・享保十二年六月十三日「金沢藩、茜染の工人茜屋雪斉に扶持を給す」(『加賀藩史料』第6編 p586)
・『加能郷土辞彙 改訂増補』日置謙編 北国新聞社 1979.6(K030/1)「茜屋理右衛門」「茜屋雪斉」の項
(2)当時の茜染の色を確認するには、
『日本の染織 第3巻武家の染織』中央公論社 1982.12(A753/33/3)にp9、11の春日大社蔵の「赤糸威大鎧」の威毛が「その赤色は非常によく残っており、赤色でこれだけ耐久性のあるものといえば、茜染がまず考えられる」とされていて、見ることができる。
(3)加賀藩に残る甲冑で「茜染」の説明がなされているものはないが、
『加賀藩の甲胄』石川県立歴史博物館編 石川県立歴史博物館 1996.4 K069/25/96-1
『甲冑・鐙・刀装具 加賀藩の技とデザイン』石川県立歴史博物館編 石川県立歴史博物館 1997.4(K069/25/97-1)
などで、赤い兜の緒を見ることができ、
『前田利家関係蔵品図録』前田育徳会尊経閣文庫編集 前田育徳会尊経閣文庫 1999.3(K288.5/1003)
で赤い兜の緒をしてている利家の軍装の画像などで、当時のイメージは確認できる。
(4)加賀藩で染められていた茜染を確認できるだろう資料は、石川県立美術館所蔵の「百工比照」があげられるが、(『百工比照 前田育徳会の名宝』石川県立美術館編 石川県立美術館 1993.9 K706.9/17/93-3、
『前田綱紀展 加賀文化の華』石川県立美術館編 石川県立美術館 1988 K706.9/17/88-1)残念ながら、既存の図録類には掲載されていない。
↧