『大正区史』に、大正区の産業の発展について、「大正時代に入ると・・・広大な臨海工業地帯が造成された。市有地ある上、水運至便という恵まれた条件がうけて、セメント、製鉄、造船、造機などの大工場が競って進出することになった」と記載されているように、大正区では早くから工業が盛んでした。
大正8(1918)年には、久保田鉄工所(現株式会社クボタ)が実用自動車製造(株)を南恩加島町に設立、量産システム採用の自動車工場として製造を開始しました。
その後、関東大震災後の自動車の需要増により、アメリカ車の日本工場設立の機運が高まり、横浜には日本フォード自動車株式会社、そして昭和2(1927)年には大正区鶴町に日本ゼネラルモーターズ株式会社が設立されました。『大正区の歴史を語る』には、工場で働く人々のハイカラな様子が記されています。
第二次世界大戦により操業中止となったものの、日本での自動車産業のあけぼのの一つとなったのは、この大正区だったのです。
参考資料:『大正区史』大阪都市協会編 大正区制施行五十周年記念記念事業委員会 1983 <当館書誌ID:0070059807>,
参考資料:『クボタ100年 -1890-1990-』クボタ 1990 <当館書誌ID:0000532533>,
参考資料:『横浜製フォード、大阪製アメリカ車 -1936年陸軍国産車保護立法で生産阻止-』サトウマコト編著 230クラブ 2000 ISBN 4-931353-37-1<当館書誌ID:0000845953>,
参考資料:『大正区の歴史を語る』大正区役所 2005 <当館書誌ID:0011134761>,
参考資料:『大正区ガイドブック-まち案内人-』大正区役所 2007 <当館書誌ID:001142272>,
参考資料:『欧米日・自動車メーカー興亡史』桂木洋二著 グランプリ出版 2004 ISBN 4-87687-262-7<当館書誌ID:0010816134>,
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