『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「大津市田上里町」、創築年代は「天正年間(一五七三-九二)」、創建者は「多羅尾光俊」、形式は「平山城」です。城の歴史は「田上城の正確な位置は現在ではわからないが、『近江輿地志略』には、「古城跡」として、「里村に在り、今に城跡あり、是多羅尾道可が城跡なり、道可は俗名多羅尾四朗兵衛光敏と号す」と記されている。ここにみえる多羅尾光敏とは『寛政重修諸家譜』によれば、多羅尾光俊のことで、法名も正確には道賀と称したようである。里村のあたりは、近江国から伊勢・伊賀両国、および大和国に至る信楽街道の要所にあたっており、甲賀郡の土豪多羅尾氏がこの地に城を築いたのも、このためであろう。」とあります。なお、大津市田上里町は現在大津市里になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.296,
参考資料:
2 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85,
参考資料:
3 滋賀県中世城郭分布調査 3 旧野洲・栗太郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1985年 5B-5200-3,
参考資料:
4 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
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