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江戸時代は場所によって1里の長さが違っていたようだ。次のようなメモがあるのだが、出典は何か?「・阿州 48町1里 ・土州 50町1里 ・予州 36町1里 ・讃岐 36町1里」(香川県立図書館)

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(1)データベース「えひめの記憶」書籍一覧(『ふるさと愛媛学』調査報告書) (愛媛県生涯学習センター)     http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_ECD=1 に次の情報あり。 四国遍路のあゆみ(平成12年度)  第1章 四国遍路の成立と展開   第2節 四国遍路の盛行    2 四国遍路の庶民化 http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=10&P_FLG1=2&P_FLG2=2&P_FLG3=2&P_FLG4=1 (1)遍路行の庶民化  イ 交通環境の整備   (ア)四国遍路のみちのり (前略)  また真念は『道指南』のなかで、「今ハ劣根、僅二八十八ヶの札所計巡拝し、往還の大道に手を拱(こまねく)御世なれハ、三百有余里の道のりとなりぬ」と述べて、次のように「三百有余里」の内訳を示している。 四箇国総八十八箇  内二十三箇所 阿州 道法(のり)五十七里半三町 四十八町一里  同一十六箇所 土州 道法九十一里半   五十町一里  同二十六箇所 予州 道法百十九里半   三十六町一里  同二十三箇所 讃岐 道法三十六里五町  三十六町一里 道?(法)都三百四里半余((25))  そもそも当時は、距離の正確な計測がなされていたわけではない。この遍路道の里程について解説した近藤喜博氏は、当時は国々によって里程の単位の不統一があることや、遍路関係の書物が真念の記述した里程をそのまま踏襲して記載する(写真1-2-6)などしていることを理由として、記された里程が極めて不正確であることを次のように指摘している。  1里の単位によって全道法が変わってくるが、澄禅が「私二云」とて示している295里40町は、どちらかというと、36町1里の単位に近い里程のように思われる。(後略) (2)四国遍路記集 伊予史談会/編 松山 伊予史談会 1981 (伊予史談会双書 第3集)   ※「四国遍路道指南(真念)」のp.155に次のような内容あり。     ・阿州 48町1里、  ・土州 50町1里、 ・予州 36町1里、 ・讃岐 36町1里 (3)四國?禮 (へんろ) 道指南 (しるべ) : 読み下し文と解説 稲田道彦 著 ; 香川大学瀬戸内圏研究センター 編.美巧社,2013.3   ※p.212-219「表1 赤木文庫本と稲田本の相違点」のp.218の「赤木文庫本」の項に、次のような内容が含まれる。     ・阿州 48町1里、  ・土州 50町1里、 ・予州 36町1里、 ・讃岐 36町1里 参考資料:近藤喜博 編 , 近藤, 喜博, 1911-. 四国霊場記集 別冊. 勉誠社, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001244874-00, (内容:四国辺路道指南(赤木文庫蔵本(横山重) 貞享4年刊の複製) 四国遍礼道指南 増補大成(岩村武勇氏蔵本 明和4年刊の複製))

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