『明解新修墨場必携』山本正一 編 法政大学出版局 1958 <921/22>( 12110755 ) p17(春類12字)に掲載されており、作者は張瑞圖(張瑞図)だとわかりました。題名がわかる資料は発見できませんでした。
張瑞圖(張瑞図)については、『中國書人傳』 中田勇次郎 編 中央公論社 1973 <728.2E/12> (11719259) のp219~236に記載があります。
回答プロセス:①『墨場必携』に掲載されているということで当館所蔵の『墨場必携』を調査。
『新註墨場必携 上巻』市河米庵 輯 名跡刊行会 2010 <728/123/1 常置> ( 22394449 ) p454(春類12字)に掲載されていたが、著者や出典については記載なし。
②『明解新修墨場必携』山本正一 編 法政大学出版局 1958 <921/22>( 12110755 ) p17(春類12字)に掲載あり。これは市河米庵の墨場必携をもとにして、新たな材料も加え解説したもの。作者は張瑞圖(張瑞図)。
③当館所蔵の張瑞圖関係の資料を確認してみたが、この詩についての記載は見つからず。
『中國書人傳』 中田勇次郎 編 中央公論社 1973 <728.2E/12> ( 11719259 ) の「張瑞圖」(p219~236)によると、自ら編んだ『白毫菴集』という文集(詩集)があるとのこと。
③『白毫菴集』は当館未所蔵。国立公文書館に明崇禎12年刊の刊本が所蔵されているが、日本国内での刊行は国会図書館サーチ、ciniiでも確認できず。
④『日本古典文学大辞典』岩波書店 1984 <910.33/25/5 常置 > ( 11913431 ) p185「和白毫菴村居詩」(びゃくごうあんそんきょのしにわす)の解説によると、張瑞圖は六言詩をよくし、その詩を好んだ(黄檗宗の僧侶であった)百拙元養が、張瑞圖の六言詩に和して、自分も和韻の六言詩をよみ、それを書きとめたのが「和白毫菴村居詩」とのこと。江戸時代には張瑞圖の詩集が日本で読まれていたようである。市河米庵が「墨場必携」を著したのも江戸時代なので、『白毫菴集』の中の詩である可能性はあるかと思われる。
↧