『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡朽木村野尻」、創築年代は享禄元年(一五二八)、創建者は「朽木稙綱」、形式は「山城」です。城の歴史は「野尻坂砦は、朽木陣屋の東の出城として設けられた。享禄元年(一五二八)、室町幕府十二代将軍足利義晴が三好・松永の乱で都をさけ、管領細川高国を従えて、朽木稙綱(たねつな)をたよって朽木村岩神の地に動座した時、淡路の足利義栄を奉じた細川晴元の軍勢が朽木谷に攻め入ってきた。朽木稙綱は、安曇川下流から朽木谷に入る晴元軍を野尻坂峠で迎え撃ち晴元軍を撃退したという。野尻坂は、都から北陸へぬける一間道であって、西山城の南東にあり、そばに金毘羅宮を祀り、峠の東方には安曇川が見下ろせて、天然の要害となっている。(後略)」とあります。なお、高島郡朽木村野尻は高島市朽木野尻になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.305,
参考資料:
2 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
3 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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