・現在の詳細な住所は不明。
・1956(昭和31)年には、仁井田村(現在の秋田市仁井田)の目長田地区に中谷地という地名が存在していたと記述された資料はあり。
・目長田に一里塚があったことはいくつかの資料の記述により確認できた。
回答プロセス:1.図書館所蔵の住宅地図
一番古いもの:「秋田市住宅明細図(東京交通事業社 1962年版)」
すでに目長田と中谷地は分かれており、番地などは不明。
ゼンリンで最も古いもの:「ゼンリンの住宅地図 秋田市 1981」
やはり目長田と中谷地は分かれており、番地などは不明。
2.『仁井田村郷土誌』(相場信太郎/編 仁井田村郷土史編集委員会 1956)
P28
「目長田中谷地」という記載あり。刊行された1956(昭和31)年には、「目長田中谷地」という地名が存在していたと考えられる。
P110
「現在の新国道牛島開小路附近と本村塚回附近(この字名もこのためという説がある)それに豊島村豊成部落入口等に一里塚があり、二間四方位盛土して榎が植えられてあったのが、明治の後期まで残っていたという。現在確かな記録に残っている一里塚の所在は、潟中島拾六番地先である。」との記載あり。
3.『秋田藩の林野制度』(武田久雄/著 秋田県経済部林務課 1938)
P9
「分間奥州肯定記一里塚所在地調」において、「29 横山仁井田間 田中 左右無木 横山より北十六町 仁井田より南八町 仁井田村」との記載あり。詳細な場所は不明。
P12
「羽州街道に於ける一里塚の現況」において、「29 仁井田 仁井田村塚田字中谷地 田成」との記載あり。詳細な場所は不明。
4.目長田(目名潟)に一里塚があったという記述、および分布図があったが、詳細な場所が不明だったもの
・『出羽路 第4号』(奈良環之助/編 秋田県文化財保護協会 1958) P44
・『秋大地理 第2号』(秋田大学教育学地理学研究会/編 秋田大学学芸学部地理学研究会 1955) P5
・『羽州街道の変遷(牛島から雄勝峠まで)』(斎藤實則/著 建設抄東北地方建設局湯沢工事事務所 1998) P50
5.目長田(目名潟)に一里塚があったという記述があったが、詳細な場所が不明だったもの(分布図はなし)
・『秋田県郷土誌』(秋田県師範学校/編 大和学芸図書 1978) P221
・『天和元年領中大小道程』(半田市太郎/著 1986) P67
・『歴史の道調査報告 南部羽州街道 8』(秋田県教育委員会/編 1986) P19
「目名潟 塚 以上のようになっている。しかし右に記載されている一里塚の跡地は何れも明らかでない。」と記載あり。
6.分布図はあったが、目長田(目名潟)に一里塚があったという記載がなかったもの
・『秋田県史 通史編 第5巻』(秋田県/編 1977)P380~382
※調査したが該当する記述が見つからなかった資料
・『秋田市史』(羽州街道についての記述部分)
・秋田県内の史跡関連の資料
・秋田市住居表示新旧対照案内図(当館所蔵分)
事前調査事項:・知人から教えてもらった住所は「目長田字中谷地18番」で、今でいう鉄道の左側らしい。(ただ、いつの時点での住所かは不明)
・現在は一里塚はもうないと聞いた。
・いつだったか覚えていないが、区画整理で住所の名称が変更になっている。
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