門脇元琳が当時住んでいた場所についての記載は発見できず。ただ、「秋田市八橋の全良寺に碑がある」との記載は発見。碑の内容についての記載はなかったため、全良寺への問い合わせ、もしくは現地での確認が必要となる。
※平成24年11月25日追記
全良寺に問い合わせたところ、焼失により現存していないとのこと。
回答プロセス①の資料より、新たに下記のとおり判明。
P167“門脇洞庵”の項目より
「代々医師の家として知られる。幕末の医師竹亭の碑は全良寺に立つ。墓妙覚寺。」
回答プロセス:①『秋田人名大事典 第2版』(秋田魁新報社/編集)2000.7
P167“門脇竹亭”の項目に、以下のとおり記載あり
「称元琳。(中略)八橋全良寺に碑がある。」
②『秋田の医史』(石田秀一/著)1981
P102に「八橋全良寺に碑がある」と記載あり。
③『秋田医学史散歩 改訂増補版』(石田 真/著)2012.6
P105 秋田藩歴代医学館医学頭の一覧に記載あり。
文久2年(1862年)より医学頭
④『秋田県史 文芸・教学編』(秋田県/編)1978.3
P622に記載あり。町医で藩に仕えなかったらしいと記されている。
⑤『秋田市史 第3巻 近世 通史編』(秋田市/編)2003.6
P579~581に記載あり。江戸時代の町触の中に、門脇元琳が医師として疱瘡の治療などに当たっていたことが記されている。⑥を出典としている。
⑥『秋田藩町触集 下(文化6年-明治2年)』(今村義孝/編,高橋秀夫/編 未来社)
1973.3
P304、416、441に記載あり。⑤の内容の原文が記載されている。
事前調査事項:●利用者事前調査済内容
・自分の家の家系図で、先祖が門脇元琳の弟子になったとの記載があった(家系図では「玄淋」と記されているが、おそらく元琳で良いだろうとのこと)。
・明徳館で調べてもらったところ、当時久保田城周辺の住所は「秋田町」と称されていたらしい。
・秋田町の学校で学んでいたと思われるが、秋田町に住んでいたかは不明。
↧