中世の播磨において赤松下野守政秀は2人存在します。応仁の乱(1467年)で活躍し、塩屋城主だった赤松下野守政秀(高枕軒性喜コウチンケンショウキ)については以下の資料に記載があります。
① 『龍野市史 第1巻』(1978年 龍野市)p613~623
② 『中世播磨と赤松氏』(高坂好著 臨川書店)p190~192 p198~200 P243~258
【参考】*③④の論文は上記資料②に所収
③『播磨 第5巻 自56号-至65号』(小林楓村編集, 臨川書店, 1987)
*62号「赤松下野守政秀と赤松氏の播磨回復」(高坂好著)
*64号「赤松政則と天隠竜沢禅師」(高坂好著)
④『播磨 第6巻 自66号-至76号終刊』(小林楓村編集, 臨川書店, 1987)
*67号・68号 「赤松政則と天隠竜沢禅師」(高坂好著)天文9年(1540年)に龍野城主となり、元亀元年(1570年)に毒殺された赤松下野守政秀については以下の資料に記載があります。
① 『龍野市史 第1巻』(1978年 龍野市)P698~708
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