次の2点を紹介する。
1.『多治見市所在 漢文による碑文集』 多治見市教育委員会/発行 2003
2.『多治見市史 通史編 下』 多治見市/編集 1987
回答プロセス:1.『多治見市史』で佐倉宗五郎神社について調査する。
2.紀功碑というキーワードから、『多治見市所在 漢文による碑文集』をあたる。
3.石造物というキーワードから、自館郷土資料室内資料『多治見市の石造物台帳 №2 昭和地域』をあたる。
事前調査事項:濃尾震災について調査をしているが、佐倉宗五郎神社内にある紀功碑に何か関連があるという情報を聞いて問い合わせたとのこと。
参考資料:『多治見市所在 漢文による碑文集』 多治見市教育委員会/発行 2003 P40~46 「紀功碑」についての記述あり。,
参考資料:『多治見市史 通史編 下』 多治見市/編集 1987 P168~172に佐倉宗五郎神社関連事項の記述あり。,
参考資料:『多治見市の石造物台帳 №2 昭和地域』 多治見市史編さん室/編 №31に紀功碑の写真あり。,
照会先:多治見市文化財保護センター
備考:【補足】 佐倉宗五郎神社内の「紀功碑」とは、「明治の濃尾大地震で、土岐川の堤防は旧形をとどめない程決壊し、その復旧には多額の費用が下され工事にあたり池田村と脇之島とは利害が対立し、そのまま工事が強硬されようとしたので脇之島の人達は憤り、豊岡村の人達と共に帝国議会にまで訴え、やっと取り上げられ、それを喜び後世の鑑にしようとした碑」である。 『多治見市所在 漢文による碑文集』より引用
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