アジア・太平洋戦争当時、阪神工業地帯の中核を占める軍需工業都市であった尼崎は、昭和20年(1945)3月から8月にかけて、アメリカ軍B29爆撃機部隊などによる数度の空襲により戦災被害を受けました。
現在も市域に残る戦争遺跡としては、旧開明小学校の塀に残る機銃掃射跡(開明町2丁目、開明中公園南西に保存)などがあります。
戦災被害及び戦争遺跡については、『図説尼崎の歴史』をはじめとする各種の参考文献により調べることができます。
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