近代における尼崎地域の工業化は、明治22年(1889)の旧城下辰巳町における尼崎紡績創設を嚆矢とする。こののち明治後期から昭和戦前期にかけて、現在の尼崎市域南東部から南部臨海部(旧尼崎町・尼崎市域、旧小田村域、旧大庄村域)を中心に会社や工場が設立され、その後の工業都市尼崎の基盤が形成されていった。
とくに20世紀初頭以降(主として日露戦後~昭和戦前期)における臨海部の重化学工業化が顕著であり、その歴史地理的要因としては、大阪市臨海部(淀川水系河口域)と同様に大規模工場立地に適した新田地帯が広がっていたこと、西日本最大の工業都市大阪の外縁部に位置したことから、大阪の工業化が早期に波及し、大阪とともに阪神工業地帯の中核を担う都市へと成長したことなどをあげることができる。
尼崎の工業化は、交通・通信・住居など様々な生活基盤の整備、人口増加や公害・衛生問題などとも深く関わっている。
以上のような歴史的経緯をふまえ、今回は専門研究を目的とする調査質問であったため、『尼崎市史』『図説尼崎の歴史』などにより基本的な流れを説明したうえで、尼崎の工業化に関する参考文献・調査方法等を紹介した。
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