次の資料が参考になると思われる。
・ひな人形 斎藤良輔/著 法政大学出版局 1975 (当館請求記号:7590 S2 5 書庫)
※p.70「・・・また、これも当時の公卿日記『西洞院時慶(ときよし)卿記』の同(※寛永)六年三月四日の条にも、「昨日中宮ニテ、ヒイナノ樽、台等ニテ有酒」と、三月節句に酒宴が行われたことを記録している。・・・」
p.70-71「・・・正保元年(一六四四)三月朔日には、将軍家光の娘、千代姫七歳の祝いをかねて、諸老臣から雛人形を献じている(『大猷院殿御実記』)。このころには、京の御所の雛遊びが、江戸大奥にも伝承されてきたことがわかる。」
なお、この本の巻末の「参考文献(引用順)」p.202に次の2点が紹介されている。
・『西洞院時慶(ときよし)卿記』江戸初期 ※所蔵なし。
・『大猷院殿御実記』江戸初期 ※「徳川実紀 第3編」に収録
当館では、「新訂増補 国史大系 徳川実紀 第3編」吉川弘文館 1991(当館請求記号:21008 K2 3-40)
※p.347に該当記述あり。
回答プロセス:次の資料にも雛祭りの歴史等に関する記事が含まれるが、
ご質問の出典に直接参考になる記述は見当たらなかった。
・雛まつり 親から子に伝える思い 福田東久/著 近代映画社 2007.2
・愛らしい雛のお道具とお菓子展 虎屋文庫 虎屋 2001.1
・母と子のお雛さまめぐり 藤田順子/著 美術出版社 1993.2
・雛と雛道具 名家秘蔵 毎日新聞社 1979.2
・日本人形史 山田徳兵衛/著 冨山房 1942.3
事前調査事項:インターネットに、雛祭りの起源等に関する情報として、次の2説があったが、その出典は?
・東福門院和子が寛永6年(1629)3月3日に7才の祝をかねて雛遊びを娘のために行ったのが始まり、という説
・徳川家光の長女千代姫の7歳の祝に、正保元年(1644)3月1日、諸臣よりひな人形が献上され、その後、大奥では女の子が生まれるとひな人形が贈られる風習が生まれたといった説
備考:インターネット上で散見される説の出典を探す事例。
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