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雑誌『PUNCH』の1842年12月10日(Volume the Third No.LXXIV (74))に掲載された風刺画 「PUNCH'S PENCILLINGS No.LVIII (58)  THE PRESANTATION OF THE CHINESE AMBASSADOR」 に描かれているイラストの歴史的背景がわかる資料はあるか。 以下は依頼者から 得た情報 ・南京条約の様子らしい ・南京条約は中国で結ばれたのに、なぜ中国の大使が英国(部屋の様子から)にいるのか? ・1842年の出来事。 ・イラストはヴィクトリア女王(?)に謁見する中国大使(とその側近?)、場所は肖像画やカーテンの様子からイギリス  だろうと思うのだが。(神奈川大学図書館)

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“PUNCH”、“アヘン戦争と南京条約”、“ヴィクトリア女王”の3方向から資料を当たってみたが、 南京条約締結時に中国大使がヴィクトリア女王に謁見したとの事実を確認することは出来なかった。 ・南京条約は、1842年8月29日にイギリス軍艦コーンウォリス(Cornwallis)上で締結された。 ・清国代表は欽差大臣耆英(キエイ)及び伊里布(イリフ)、イギリス代表はポテンジャーであった。 (「林則徐 清末の官僚とアヘン戦争」 / 堀川哲男 中央公論社 1F B289-1770 より) ↓ ・PUNCHでは、新聞記事の内容と直接関係のない挿絵を入れることが度々ある。  南京条約ならば、女王は英国の象徴の意味で描かれたのではないか?あくまでも憶測だが。 ひとまず、調査に使用した資料とプロセスを説明し、新たな情報が見つかれば連絡する旨、伝えた。 回答プロセス:【調査戦略】 まずは1842年におけるイギリスと中国との関係を考慮する必要があるだろう。依頼者からの情報にもあるように 1842年といえば、1840年に勃発したアヘン戦争が、いわゆる南京条約の調印により終結した年にあたる。 また、1842年はヴィクトリア女王の在位期間中である。 そうなると、いくつかの方向から調査が可能であるように思われる。例えば、  ①「PUNCH」について  ②アヘン戦争と南京条約について(史実からこのような場面が実在したのか)  ③ヴィクトリア女王について(ヴィクトリア女王在位期間中の外国大使との謁見記録のような資料) これらの調査事項を上手く組み合わせながら、南京条約締結当時に中国大使がヴィクトリア女王に謁見した事実 があるのか否か等を確認していくことにする。 【調査プロセス】 ①~③に関係のある資料をブラウズする。 ・『ヴィクトリア女王』 スタンリー・ワイントラウブ著 ; 平岡緑訳 中央公論社 , 1993.8-1993.9  横浜書庫上層 1000094842 B289-1-460 (上)  →1842年に中国大使と謁見した記述はなし。 ・『アヘン戦争と太平天国革命』  上海師範大学歴史系編著 ; 野原四郎, 小島晋治監訳 三省堂 , 1981.5  横浜書庫上層 0000869051 B222.6-1-23  →南京条約締結の記述あり。(P.74) ・『林則徐』 井上裕正著 白帝社 , 1994.11  横浜書庫上層 BB199506622 B282.2-12-93  →南京条約締結の記述あり。(P.256-) ・『林則徐 : 清末の官僚とアヘン戦争』 堀川哲男著 中央公論社 , 1997.4  横浜1階開架 BB200706369 B289-1770  →南京条約締結の記述、写真あり。(P.238-) ☆『図像のなかの中国と日本 : ヴィクトリア朝のオリエント幻想』  東田雅博著 山川出版社 , 1998.7  横浜1階開架 BB199810218 B233.6-44  →調査依頼者の提示した図版あり。     ヴィクトリア女王の謁見についての記述はなし。「ロンドンニュース」でも中国使節が取り上げられている。  図版を解説した箇所を、以下に一部抜粋する。  「このように、『パンチ』がかなり強い関心を示したかに見えるアヘン戦争に関しても『パンチ』よりも『ロンドン・  ニュース』の方がはるかに情報量は多いといえる。このことは海外情報全般について妥当する傾向である。  しかし、情報の多寡がイメージの形成にストレートに影響するということはなかったようである。イメージの  形成という点に関しては、やはり『パンチ』の方がより協力であったといえる。   アヘン戦争の終結時には、中国の外交官、外交使節が『パンチ』(一八四二年三巻、四十三年四巻)誌上  に登場するが、いずれも十分な敬意を払われているとはとうていいえない。(以下略)」 ・「『パンチ』素描集 : 19世紀のロンドン」 松村昌家編 岩波書店 , 1994.1  横浜  横浜3階開架  B081-1304-41  この資料はパンチの図版だけでなく、一部ではあるが記事の内容も紹介している。但し、今回の調査で  求めている情報はなし。 ・『アジア歴史事典』 平凡社 , 1984.4  「8月29日、イギリス軍艦コーンウォリス上で南京条約に調印した。清国代表は欽差大臣耆英」および伊里  布、両江総督牛艦の三名、イギリス代表はポティンジャーであった」 事前調査事項:以下は利用者から ・南京条約の様子らしい ・南京条約は中国で結ばれたのに、なぜ中国の大使が英国(部屋の様子から)にいるのか? ・1842年の出来事。 参考資料:『ヴィクトリア女王』 スタンリー・ワイントラウブ著 ; 平岡緑訳 中央公論社, 参考資料:『アヘン戦争と太平天国革命』  上海師範大学歴史系編著 ; 野原四郎, 小島晋治監訳 三省堂, 参考資料:『林則徐』 井上裕正著 白帝社 , 1994.11, 参考資料:『林則徐 : 清末の官僚とアヘン戦争』 堀川哲男著 中央公論社 , 1997.4, 参考資料:『図像のなかの中国と日本 : ヴィクトリア朝のオリエント幻想』  東田雅博著 山川出版社 , 1998.7, 参考資料:「『パンチ』素描集 : 19世紀のロンドン」 松村昌家編 岩波書店 , 1994.1, 参考資料:『ヴィクトリア女王 : 大英帝国の"戦う女王"』 君塚直隆著 東京 : 中央公論新社 , 2007.10, (ヴィクトリア女王年譜あり。 主要参考文献リストは一次資料も充実している。) 参考資料:『実録アヘン戦争』 陳舜臣著 東京 : 中央公論社 , 中公新書1971.6, 参考資料:『中華帝国の危機』 並木頼寿, 井上裕正著 中央公論社 , 1997.4, 参考資料:『大清帝国と中華の混迷』 平野聡著 講談社 , 2007.10, 参考資料:『ヴィクトリア女王 : ジェンダー・王権・表象』 川本静子, 松村昌家編著 ミネルヴァ書房 , 2006.7, 参考資料:『中国を変えた西洋人顧問』 ジョナサン・スペンス著 ; 三石善吉訳 講談社 , 1975, 参考資料:『月を曳く船方 : 清末中国人の米欧回覧』 阪本英樹著 成文堂 , 2002.9, 参考資料:『日本と中国における「西洋」の発見 : 十九世紀日中知識人の世界像の形成 』  銭国紅著 山川出版社 , 2004.10, 参考資料:『Punch; or, The London charivari』 London Published at the Office, 参考資料:『Queen Victoria v. 1 1819-1861. her life and times 』Cecil Woodham-Smith.1975, 備考:今回の調査とは直接の関係はないが、以下の資料は今回の調査と類似しており興味深い。 ■井野瀬久美惠『黒人王、白人王に謁見す-ある絵画のなかの大英帝国』 山川出版社、2002年11月   http://www.adm.konan-u.ac.jp/lib/profile/fujidana/fujidanapdf/vol20_02.pdf 1860年代初頭に制作されたこの絵には、ヴィクトリア女王がひざまずく黒人王に聖書を 贈る様子が描かれている。 (中略) 100年ほど前の新聞記事をゆっくり読み進めていた。そのとき、ある記事が私の目を釘付 けにした。1904年5月30日午後、西アフリカから渡英し、時の国王エドワード7世に謁見 したある黒人王がくりかえしたという、こんな話である。曰く、「ヴィクトリア女王が、亡き私の 父に、イングランドの偉大さのシンボルとして聖書を贈った」――えっ?ヴィクトリア女王が この黒人王の父に聖書を贈っていた? それも「イングランドの偉大さのシンボル」として…! この瞬間、私のなかで、あの絵の黒人王と、1904年に渡英した西アフリカの黒人王が重 なった。では、あの絵のなかの黒人王は、この彼の父なのか?どうやったらそれを証明で きるだろうか?

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