『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「東浅井郡湖北町留目(とどめ)字鹿島に所在。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、斎主命、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)。社伝によると、もと田川荘の総社として武内宿禰が勅命をうけて創立したといい、佐々木・京極両氏代々の祈?所であったが、1573年(元亀4)織田氏の兵火にかかり焼失、そのあと1585年(天正13)豊臣氏によって現在地に再建。秀吉は1591年(天正19)愛児鶴松の病気平癒を、さらに淀君が疱瘡を病んだときその回復を立願、これらの書状は鹿島文書として現存する。徳川氏も200石の社領をあたえていた。(早崎観縁)」とあります。なお、東浅井郡湖北町留目字鹿島は現在長浜市湖北町留目になっています。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.148,
参考資料:
2 神社由緒記 三宅辨造∥編 滋賀縣内務部教育課 1921年 5-1700- 21,
参考資料:
3 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.136,
参考資料:
4 全国神社名鑑 下 三浦譲∥編 全国神社名鑑刊行会史学センタ- 1977年 RB-1703-ミ,
参考資料:
5 神社名鑑 神社本庁調査部 神社本庁 1963年 R-1759-シ,
参考資料:
6 神社辞典 白井 永二∥編 東京堂出版 1979年 R-1759-シ,
参考資料:
7 滋賀県神社誌 滋賀県神社庁∥編 滋賀県神社誌編纂委員会 1987年 S-1700- 87 p.500,
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