明治32年(1898)8月28日、別子山村の別子銅山では、大規模な山津波が起こり、地滑りにより多数の住民が被害を受け、鉱山施設も破滅的な被害を受けた。(死者行方不明513名)
住友は角野村の瑞応寺境内に「別コ鉱山遭難流亡者碑」を建立した。
折しも煙害で荒れ果てた別子の山に、伊庭貞剛が植林を手掛けはじめた翌年だったそうだ。
この災害により別子鉱業所は新居浜に移転された。
参考資料:『日本の自然災害』, (国会資料編纂会/編集 1998.4)
参考資料:『住友別子鉱山史』, (住友金属鉱山株式会社住友別子鉱山史編集委員会/編 1991.5)
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