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「尼崎」という地名を「尼ヶ崎」と表記しているケースがある。どちらが正しいのか?(尼崎市立地域研究史料館)

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地方公共団体の名称としては、明治22年(1889)から大正5年(1916)までの町制時代は「尼ヶ崎町」、大正5年4月の市制施行以降は「尼崎市」が正式な表記です。ただし、町制時代の「尼ヶ崎」という表記は地元行政機関にとってかならずしも好ましいものではなかったらしく、町の公文書はほぼ例外なく「尼崎町」と表記しています。また市制施行の諮問について報じた新聞記事によれば、町当局は明治期の戸籍や古くは信長・秀吉時代の古文書に「尼崎町」とあることを例に引いて、「尼崎」が本来の表記なので市の名称は「尼崎市」を希望すると国に上申しています。 現実には、「尼崎」と「尼ヶ崎」は長く混用されてきました。近世においては、尼崎藩や幕府の公文書(郷帳・国絵図・領知目録など)においてさえ、「尼崎」に加えて「尼ヶ崎」という表記を見出すことができます。さらに中世にまでさかのぼれば、「尼カ崎」「海士崎」「海人崎」「海ヶ崎」などさまざまな表記が記録されています。これらのうちとくに「海士崎」「海人崎」は、「海士・海人」(あま=漁民・海民)が住む「崎」(海に突き出た場所)という地名本来の由来を表す表記であろうと考えられています。 市制施行以降も、公文書以外では慣例的に「尼ヶ崎」という表記が使われましたが、時代とともに使用例が減少し、現在では「尼ヶ崎」と記載されることはほとんどありません。ただし、尼崎を舞台として描かれた車谷長吉氏の直木賞受賞小説『赤目四十八瀧心中未遂』は、平成年代の作品ながら例外的に地名はすべて「尼ヶ崎」と表記されています。 回答プロセス:1 「尼ヶ崎町」「尼崎市」という地方公共団体の名称について ◆『尼崎市史』第7巻・第8巻 近代史料編(上・下) 町制時代の公文書、市制施行に関する史料などを収録している。 町の公文書がほぼ例外なく「尼崎町」と表記していることも確認できる。 ◆尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第15巻第2号 大正5年の尼崎市制施行に関する新聞記事を、史料紹介「尼崎市制施行関係新聞記事」として掲載している。 町当局が「尼崎」を本来の表記と主張し、「尼崎市」という表記を希望する旨を報じる記事も掲載されている。 2 「尼崎」という地名の歴史上の表記 ◆『尼崎市史』第5巻 近世史料編(上) 近世尼崎藩や幕府の公文書である郷帳・国絵図・領知目録などの史料を翻刻掲載している。 ◆尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第9巻第3号 史料紹介「尼崎市域地名の史料上の初見」を掲載しており、歴史上のさまざまな表記を確認することができる。 ◆Web版尼崎地域史事典"apedia"項目「尼崎」  地名の語源・由来について、「海士崎」「海人崎」という表記に言及して解説している。 ◆『赤目四十八瀧心中未遂』 地名を「尼ヶ崎」と表記した車谷長吉氏の直木賞受賞作品 参考資料:『尼崎市史』第5巻 近世史料編(上) 昭和49年発行, (当館請求記号 219/A/ア-5) 参考資料:『尼崎市史』第7巻・第8巻 近代史料編(上・下) 昭和51・53年発行, (当館請求記号 219/A/ア-7・8) 参考資料:尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第9巻第3号(通巻27号) 昭和55年3月発行, (史料紹介「尼崎市制施行関係新聞記事」掲載) 参考資料:尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第15巻第2号(通巻44号) 昭和60年12月発行, (史料紹介「尼崎市域地名の史料上の初見」掲載) 参考資料:『赤目四十八瀧心中未遂』 車谷長吉著 文藝春秋 平成10年発行, (当館請求記号 913.6/A/ク) 備考:Web版 尼崎地域史事典"apedia" http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/

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