下記の資料で、三田網町10(現港区三田2丁目1)に渋沢邸があったことが確認できる。
『港区の文化財 第7集 三田と芝』p.27に、「網町の丹波柏原藩の邸地には仁礼邸(現三田2丁目1番の北西部)、(中略)仁礼邸のあったところに渋沢邸、蜂須賀邸と渋沢邸の間に浅野良三邸」とある。
p.34に「町名・町域の変遷と戸数の発展の概要」の図がある。
『渋沢栄一伝記資料 第29巻』p.622に、「1906年(明治39)4月2日 是日栄一、篤二の新居として三田網町の子爵仁礼景助の土地家屋購入を決す。次いで1909年(明治42)6月深川邸の家屋の一部移建を加えて新築竣功す。当邸は専ら篤二の居住せし所なるも、栄一の本拠となす。」と記載がある。
p.624に、「6時網町邸に至る、新築落成、本日目出度移転せらる、立派に工合よく出来、見はらし、日あたり、風通し等すべて宜しきは勿論、住居勝手も余程便利らし」と記載がある。
p.624に、『竜門雑誌(第254号・第56項 1909年(明治42)7月)』「〇渋沢本社長の転居 渋沢本社長は去る1906年(明治39)6月芝区三田網町10番地仁礼子爵の旧邸を購い、(中略)新邸には深川福住町の旧邸の一部を其結構の中に加えて、旧を偲ばんよすがに供しぬるよし 〇社長とは渋沢篤二をさす。」と記載がある。
[VISIT MINATO CITY](デジタル版)の「東京・港区に残る渋沢栄一の記憶と、明治・大正の産業発祥の地を巡る」に、「渋沢栄一は69歳を迎えた1909年(明治42)に、それまで深川にあった邸宅を港区の三田網町に移しています。この頃の渋沢は北区の飛鳥山にも自邸を持ち、主な住居はそちらでしたが、長男・篤二の家族が住んだ三田の邸宅でも長い時間を過ごしました。」と記載がある。
『清水建設二百年』p.99「澁澤榮一と晩香蘆」に、三田網町に邸宅があったと記載がある。
『港区史 第5巻 通史編(近代 下)』p.379、「表5-2-2-1港区域から移築され現存する近代の建造物(2021年(令和3)12月現在)」に住所が「三田2-1-8」と記載がある。
[デジタル版 港区のあゆみ『港区史 通史編 近代(下)』]でも閲覧できる。
下記の資料で、渋沢邸の場所を確認できる。(地図を含む)
『増補港区近代沿革図集 芝・三田・芝浦』p.68(1934年(昭和9))、p.66(1937年(昭和12))、p.64(1947年(昭和22))にある。
『東京市土地宝典 芝区』p.10で、1911年(明治44)にあり。(地図)(港区電子図書館でも閲覧可)
『地籍台帳・地籍地図<東京>第5巻 地図編』p.248、1912年(大正1)にある。(地図)
『東京地籍図 港区編第1巻』p.53で、1934年(昭和9)にある。(地図)
『東京地籍図 港区編第2巻』p.282で、1934年(昭和9)にある。(台帳)
下記の資料で、邸宅が栄一から息子の篤二、孫の敬三に引き継がれたことが確認できる。
『渋沢家三代』p.149に、「篤二一家はペストの流行をきっかけに、深川の家を出て三田網町に移った。」と記載がある。
p.163に「渋沢篤二の名前がいろは順の電話帳に最初に出てくるのは1912年(明治45)である。住所は三田網町10」と記載がある。
p.247に、「敬三は三田網町の敷地5000坪の豪邸を財産税のかわりに物納し、(中略)1908年(明治41)に深川から移築した三田網町の純和風の建物は、1929年(昭和4)に英国王室風の洋館が増築されたため、延べ面積330坪、部屋数は33室という超豪邸だった。」と記載がある。
p.288-289に、渋沢家関係略系図がある。
p.289「中ノ家」に栄一の長男「篤二」、篤二の長男(栄一の孫)「敬三」の名が確認できる。
『地籍台帳・地籍地図<東京> 第2巻』p.195で、1912年(大正1)に「澁澤篤二」の記載がある。(台帳)
『東京市芝区地籍台帳 全』19/三田網町/4(昭和9年7月末現在)に、「澁澤敬三」の表記がある。(台帳)
下記の資料で渋沢邸の様子(写真)と概要を確認できる。
[清水建設公式ホームページ]に、歴史的建造物として『140余年の時を超えて受け継がれる「旧渋沢邸」』が写真付きで紹介されている。
・1928年(昭和3)撮影 三田網町・渋沢邸(写真1枚)
・洋館増改築後の三田網町・渋沢邸。建物左側部分を解体して、応接室、書斎、食堂から成る洋館を増築した(写真1枚)
・三田網町・渋沢邸洋館と・第一応接室・第二応接室・書斎・食堂(写真5枚)
また、同ホームページ『企業情報/ニューリリース/江東区潮見で再築中の旧渋沢邸が上棟』に、「旧渋沢邸の概要」(年表)がある。
1946年(昭和21)渋沢家から国に物納 大蔵大臣公邸、三田共用会議所として使用
1991年(平成3)三田から青森県上北郡六戸町へ移築
(中略)
2020年(令和2)再築工事着工(移築先は、江東区潮見2丁目8番地内)
同様の内容が、下記の資料で確認できる。
[江東区公式ホームページ](S-KOTO/渋沢栄一と江東区のつながり)
[ヨミダス歴史館](読売新聞記事データベース2019年(平成31)6月14日/東京朝刊/都民/25貢)
「旧渋沢邸 江東に帰還へ 移築先の青森から清水建設 3年後公開予定」
[毎索](毎日新聞記事データベース)2023年(令和5)9月5日/東京朝刊/7貢/経済面)
「旧渋沢栄一邸、東京に帰宅 清水建設、青森から移築」
(2024年2月更新)
参考資料:渋沢栄一伝記資料第29巻渋沢青淵記念財団竜門社/編纂渋沢栄一伝記資料刊行会, (p.622-624)
参考資料:渋沢家三代佐野 真一/著文芸春秋, (p.162-166,247-252,288-284)
参考資料:清水建設二百年経営編清水建設株式会社/編集清水建設, (p.99)
参考資料:港区史第5巻港区総務部総務課/編集港区, (p.379)
参考資料:東京地籍図港区編第1巻不二出版, (p.53)
参考資料:地籍台帳・地籍地図第5巻地図資料編纂会/編柏書房, (p.248)
参考資料:東京市土地宝典金洪社, (p.10)
参考資料:地籍台帳・地籍地図第2巻地図資料編纂会/編柏書房, (p.195)
参考資料:東京地籍図港区編第2巻不二出版, (p.282)
参考資料:東京市芝区地籍台帳内山模型製図社,
参考資料:港区近代沿革図集芝・三田・芝浦港区立港郷土資料館/編港区, (p.57-80)
参考資料:港区の文化財第7集港区教育委員会社会教育課/編港区, (p.25-28,33-34)
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