百舌鳥古墳群(もずこふんぐん) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%99%BE%E8%88%8C%E9%B3%A5%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4/ (2013/02/13確認)
大阪府堺(さかい)市南郊の台地上にある、古墳時代中期から後期初頭に築かれた古墳の総称。古墳群は東西・南北ともほぼ4キロの範囲内にあって、古市(ふるいち)古墳群とは東西に続いている。地形的に西方で海に面しているのが、大古墳群としては特色である。古墳総数は、すでに消滅したものでも存在のわかる古墳を加え約92基で、陪塚(ばいづか)も含めてある。墳形の種類で分けると、帆立貝(ほたてがい)式古墳をも含めて前方後円墳27基、方墳四基、円墳39基、他は墳形不明であるがこれの規模は大きくない。・・・
百舌鳥古墳群【もずこふんぐん】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%99%BE%E8%88%8C%E9%B3%A5%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4 (2013/02/13確認)
もずこふんぐん【百舌鳥古墳群】 国史大辞典
大阪府堺市所在。大阪湾岸沿いの市街地の東郊に位置する百舌鳥の地は、一五平方キロほどの低い台状地である。『日本書紀』仁徳紀に陵墓築造にちなむその地名起源説話がみえる。仁徳陵古墳を最大とする現存十四基の前方後円墳を中心とした大古墳群であり、北から南に反正天皇陵古墳(田出井山古墳、長さ一五〇メートル)、仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳、長さ四七五メートル)、履仲天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳、長さ三六五メートル)、大塚山古墳(長さ一六八メートル、昭和二十年(一九四五)代に採土工事で消滅)があり、それから東にいたすけ古墳(長さ一四四メートル)、御廟山(ごびょうやま)古墳(長さ一八七メートル)、ニサンザイ古墳(長さ二九〇メートル)がある。陪塚や群集墳などを合わせると九十基を越える。天皇陵古墳をふくめる大古墳群は河内王朝の王墓にあたることは誤りないところであるが、個々の天皇陵古墳がその命名されている天皇の陵墓であるかどうかは明らかであるとはいえない。・・・
[参考文献] 『大阪府史』一、末永雅雄『日本の古墳』
百舌鳥古墳群めぐり 堺観光コンベンション協会
http://www.sakai-tcb.or.jp/model_course/mozu_halfday.html (2013/02/13確認)
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