調査の結果、以下の資料が見つかった。
【資料1】「房総力士伝(5)大関鬼面山 文化期の人気力士 雷電六度顔合わす」(『千葉日報』1962(昭和37)年4月25日)p4 に掲載(鳥海宗一郎氏の連載の5回目)
回答プロセス:1 千葉県立図書館ホームページの千葉県関係資料検索「菜の花ライブラリー」で「鬼面山与一右衛門」を検索。
「鬼面山与一右衛門(きめんざんよいちえもん)大相撲の大関 <ご存じですか>」(『千葉日報』1994年(平成6)年 5月4日)p15がヒットした。
2 1の記事を『千葉日報』縮刷版で確認。
「昭和37年本紙に掲載された鳥海宗一郎の「房総力士伝」によれば」という記載があった。掲載月日を特定するため、『千葉県関係新聞記事索引 昭和36-38年』(千葉県立中央図書館編集 1965)を確認したが、「房総力士伝」に関する記載はなかった。
3 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「房総 相撲」「千葉 相撲」で検索。
『房総大相撲人国記』(谷口公逸著 彩流社 2019)を確認。
p483-487「[52]鬼面山与一右衛門(富里市)」
「昭和37年(1962)5月、千葉市役所弘報課勤務の鳥海宗一郎氏が千葉民友新聞社の石原広社長のからもたらされた情報で鬼面山の生家子孫は判明したという経緯は讀賣『大相撲』(昭和37年7月号)「大関鬼面山の証跡を探る」に発表している。」と記載があった。
『千葉県と相撲』(小島貞二著 京葉市民新聞社 1972)を確認。
p57-58「実力大関鬼面山」には、新聞に関する記述はなかった。
4 3より、鳥海宗一郎「大関鬼面山の証跡を探る」(『大相撲』8巻7号 1962.7)p111を確認。
「ことしの四月ごろ、県紙千葉日報に房総から出た力士の連載ものをたのまれた(中略)5回目に鬼面山を書くことになり、私はこんなふうに書いた」と記載があった。
5 昭和37年4月から『千葉日報』マイクロフィルムを通覧し、【資料1】を発見。
(インターネット最終アクセス:2024年7月26日)
参考資料:【資料1】「房総力士伝(5)大関鬼面山 文化期の人気力士 雷電六度顔合わす」(『千葉日報』1962(昭和37)年4月25日)p4,
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