・『望郷の丘 多磨盲人会二十周年記念誌』(多磨盲人会、1979年)
85p 鈴木寅雄「望郷台」
→「その築山を初めて望郷台と言って短歌に詠まれたのは、『あしかび』の主幹をしておられた土屋静男先生、それから望郷台を題材にして大量に詠まれたのは宇都野研先生で、あれは昭和六年ころでしたかね。それから一般入園者も望郷台と言うようになったんです」
・『多磨 第32巻1号』(1939年8月)
鈴木楽光「望郷台の歌に就いて」
→「昭和六年の古い短歌雑誌「勁草」を見ると「全生病院訪問して」と題する宇都野研先生の詠まれた大作がある ~中略~ 次に詩の方の事に及ぶが ~中略~ 併しこれらは孰れも、宇都野先生の作よりずっと後の事であるから、此処に掲げることは避けることにする。 ~中略~ 其後に於いては昭和九年九月武蔵野短歌の創刊号に「あしかび」の土屋静男先生が寄せられた「南秋津回顧」と題する ~中略~ 三首がある。之ら両先生の影響を受けて、我々の間にも一頃非常に多く望郷台の歌が詠まれた。 ~中略~ 望郷台の名称を使ひて詠まれたのは、此処にも掲げてきた通りであって、宇都野研先生の作がその最初であることになる」
・「望郷の丘」の名称について
機関誌検索システム、蔵書検索システムでキーワード検索を行ったところ、一番古いのは上記の『望郷の丘 多磨盲人会二十周年記念誌』であり、それ以前に「望郷の丘」と記述しているものは見つけられなかった。
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