(2)~(5)の情報を提供。参考資料として①②を紹介した。
17世紀にはラテン語から離れ始め、ガリレオやニュートンなどは母国語で論文を書き始めた(資料②)。また、オックスフォードでは、17世紀はどんな講義もラテン語で行われ、試験は1800年に英語の使用が認められるまではラテン語の口述試験だったが、18世紀になると講義では英語が用いられるようになった(資料④)。17世紀頃から徐々に英語が導入され、18世紀に入ると学術論文も英語で書かれることが多くなったと推測される。
回答プロセス:(以下、紙媒体資料については丸数字、その他の情報については丸括弧付き数字を表記する。)
1 インターネット調査
(1)「なぜ科学において英語が共通語になったのか」(日本語)
https://www.lifehacker.jp/article/131117international_language/
↓
元となる情報(英語)
(2)「FYI: How Did English Get To Be The International Language Of Science?」(POPULAR SCIENCE)Popular Science誌の2013年11月号に掲載
https://www.popsci.com/article/science/fyi-how-did-english-get-be-international-language-science/
「 researchers began to move away from Latin in the 17th century. Galileo, Newton, and others started writing papers in their native tongues in part to make their work more accessible and in part as a reaction to the Protestant Reformation and the declining influence of the Catholic Church.」「During the 1950s and ’60s, most scientific literature was published in either English or Russian. “Then in the 1970s, everything turns,” Gordin says. As the Soviet Union fell into decline, the use of Russian declined too. By the mid-1990s, about 96 percent of the world’s scientific articles were written in English」とあり。
(3)平井美津子著「学術用語におけるラテン語の影響についての研究」
(『長崎国際大学論叢』第13巻,p.1~p.9,2013年3月 長崎国際大学学術機関リポジトリ)
https://niu.repo.nii.ac.jp/records/838
p.1「英語の多くは古典語、すなわち古典ギリシャ語やラテン語に由来しているといわれている」 「自然科学分野の英単語に 多く残っているラテン語由来の英語の不規則な複数形を取り上げ、英語への導入年代を調べた。その結 果、多くの不規則な複数形は、ラテン語の主格名詞の複数由来で、16~17世紀に英語に導入されたもの であることがわかった。18世紀には英語の文法が確立し、国際語として英語が拡大するのに伴い、ラテ ン語の影響力は衰えていった。」とあり。
p.7「14世紀後半からラテン語の複数形 が英語に流入し始め、16~17世紀にほぼ集中していることがわかる。しかし18世紀以降、一部の例外を除いてラテン語由来の複数形はほとんどみられない。」とあり。
(4)小川正広著「オックスフォードの古典学と古典教育 : 歴史と現状」
(『西洋古典論集』6巻,p.89-117,京都大学西洋古典研究会,1989.9.30 京都大学学術情報リポジトリKURENAI)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68573/1/KJ00004263546.pdf
p.93 17世紀「どんな講 義も普通はラテン語で行なわれたし, 試験は, 1800年に英語 の使用 が認められるまではラテン語の口述試験だった」とあり。
p.94 18世紀「18世紀になると, 大学の古典語教育は衰退した.講 義では英語が用いられるようになり」とあり。
p.95 19世紀「さらに英語を見て即座口頭でラテン語に訳す能力が審査された.」とあり。
(5)18世紀のドイツ大学事情(『100年前の外科学』第3 章) ゲオルク・フィッシャー著 1876年 中井臣久訳 (『帝京大学外国語外国文学論集』13号,p.93-125,2007.02.15 帝京大学図書館リポジトリ)
https://opac.teikyo-u.ac.jp/iwjs0016opc/gaikokubungaku13-03._?key=PQSUSN
p.111-112「似たような闇商売が英国でもなされていた。少なくとも知られていたの が、ジョーン ブラウンのケースで、彼は生計を立てるために、最初は 学位論文のラテン語翻訳を手掛けていたが、後には若い医師のために10ギニーで論文を作成し、5ギニーで翻訳を引き受けた。」とあり。
p.114「ヨーロッパではどこに行っても学位論文はラテン語で執筆しなければならなかった。」「まずアメリカで疑問の声があがった。それはドクトルの学位ビジネスで知られていたあのフィラデルフィアの大学医学部で、1790年に学位論文はラテン語でも英語でも構わないという許可が出された。」とあり。
2 自館資料調査
①『世界の英語ができるまで』唐沢一友/著 亜紀書房 2016
②『ラテン語のはなし』逸身喜一郎/著 大修館書店 2000
ウェブサイトは令和6(2024)年5月20日確認
参考資料:長崎国際大学論叢 13巻 2013年. 長崎国際大学研究センター, 2013.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000388838-i4377204,
参考資料:京都大学西洋古典研究会 編. 西洋古典論集 6巻-12巻 1989年-1995年 (別綴11/欠8,9). 京都大学西洋古典研究会, 1989-1995.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000040195-i6998773,
参考資料:帝京大学外国語外国文学論集 (13) 2007. 帝京大学第二外国語部会, 2007.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000097695-i10231637,
参考資料:唐澤一友 著. 世界の英語ができるまで. 亜紀書房, 2016.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I027164584, 978-4-7505-1469-7
参考資料:逸身喜一郎 著. ラテン語のはなし : 通読できるラテン語文法. 大修館書店, 2000.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002950800, 4-469-21262-8
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