兵士の数について、はっきりした数の記述はみつけられなかった。
調べた資料の中から、兵士の数についての記載部分をそれぞれ引用してお伝えし、回答とした。
『国史大辞典 9 たかーて』 吉川弘文館
『青島から来た兵士たち』 瀬戸武彦∥著
『二つの山河』 中村彰彦∥著
回答プロセス:初めに、当館所蔵の『国史大辞典 9 たかーて』で、「青島(チンタオ)」について調べた。
資料の689ページに「青島攻略」の記述があり、「日独開戦当初には守備兵4920を擁した」とあった。
次に、当館の資料検索システムで、キーワード「青島」で調べると、『青島から来た兵士たち』が該当した。
資料の60ページ「日独両軍の部隊編成についての記」という部分があり、
ドイツ総督府守備群という項に部隊の名前や兵士の数が載っていた。
その記述のなかに、「 ~ 中略 ~ ドイツ軍の総勢は5000名余と考えられる」とあった。
最後に、当館の書庫の資料を確認した。
確認したところ、『二つの山河』という資料の8ページに
「それに較べてドイツ軍戦死者数はわずか百九十一に過ぎない。四千七百九十一名が生き残って俘虜となる
運命をたどった」とあった。
以上の資料3冊から、兵士の数についての記載があった部分をお伝えした。
参考資料:国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第9巻 (たかーて). 吉川弘文館, 1988.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001939682, 4-642-00509-9
参考資料:瀬戸武彦 著. 青島から来た兵士たち : 第一次大戦とドイツ兵俘虜の実像. 同学社, 2006.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008202533, 4-8102-0450-2
参考資料:中村彰彦 著. 二つの山河. 文芸春秋, 1994.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002358882, 4-16-315110-9
↧