行基は百済系帰化人の出身で、和泉国大島郡蜂田郷家原(いまの堺市内)に生まれた人である。民間の伝導に生きがいをささげたかれは『行基年譜(続々群書類従 第3 史伝部)』によれば、創建した道場は畿内に49か所を数えるが、そのうち33か所が大阪地方にあったとある。また、かれの教化事業は仏寺の創建のみならず、勧業事業とも密接につながっていたことが「続日本紀」にもしるされている。
『大阪の歴史』(木村 武夫/著 大阪府史編集資料室/編集 大阪府史編集資料室,1970) p.17-18
には、そのような行基の起こした事業の概略がしるされており、行基の難波江の堀開きについては
出口常順「四天王寺縁起考」『上方 : 郷土研究 創刊号~第6号』3号 1931年3月 P.5
『日本霊異記(東洋文庫 97)』(景戒/撰 原田 敏明/訳 高橋 貢/訳 平凡社,1978) p.87
などに記載がある。
また
『行基(人物叢書 24)』(井上 薫/著 吉川弘文館,1959)
は、行基の生涯を知る伝記資料であり、巻末には略年譜および参考文献があり詳しい。
そのほか
『堺市史』(堺市役所/編纂 堺市役所,1929)
にも創建した仏寺の紹介がある。
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