まず、『日本の食文化大系14そば通』(東京書房社・1985年)p123に年越蕎麦を「節分の夜に食う慣例がある」とあります。これには節分蕎麦という言い方があり、新装版『蕎麦辞典』(東京堂出版・1996年)に「年越しそばといっても差支ない」「大晦日そばの年越しそばと区別すべき」「節分そばを食べる地方は相当に多い」といったことが書かれ、『蕎麦の事典』(柴田書店・1999年)には「本来はこの節分そばを「年越しそば」といい、「大晦日そば」と区別される」とあります。さて、太陽暦を使っている現代では節分は立春の前日の2月3日(頃)と決まっていますが、江戸時代の暦は太陰太陽暦であり、節分が12月中になることもありました。『蕎麦 江戸の食文化』(岩波書店・2001年)p203に江戸時代は「節分が本当の年越しとの考え方もあったので」とあり、『大坂繁花風土記』(文化11年)からの引用で「十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切く(喰)ろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す」とあります。
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