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大名の江戸城登城はどんな具合だったか 。

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 江戸城の城門は、三十六見附(実際には三十六以上在った)などと言ってたくさん在ったことが知られていますが、『図説江戸2 大名と旗本の暮らし』(平井聖監修・学習研究社・2105/1089/2)によれば、”大名が登城するのは大手門、内桜田門(現在の桔梗門)の二か所と決められていた”とあります。  『図解・江戸城をよむ』(深井雅海著・原書房・2105/887/97)によれば、大名の多くは”大手門の門前の橋の手前、下馬所において駕籠や馬から下りた”といい、さらに奥の下乗所~玄関と続き、”日光門主・御三家などのほかはこの場所(下乗所)で駕籠から下りる定めであった”とあります(あとは徒歩)。  供の者ですが、一〇万石以上の大名でも、下馬所より下乗所まで「侍六人、草履取一人、挟箱持二人、駕籠かき四人」、下乗所より玄関まで「侍三人、草履取一人、挟箱持一人」しか連れることができなかったそうです(元禄十二年閏九月)。

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