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海部堀川(かいふぼりがわ)は大阪のどのあたりにあったのか

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 『大阪市史 第1』(大阪市参事会/編 大阪市参事会,1913)p.298  『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922)p.787-788  『大阪風土記 : 大正』(大阪市教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1926.11)p.320  『西区史 第1巻』(大阪市西区役所/編 大阪市西区役所,1943)p.27 によれば、「寛永元年(1624)この土地の住民海部某が運河開さくの許可を町奉行所から得て、同年竣工したが、新堀は阿波座堀川より起り海部堀町の東端において直角に屈折し百間堀川に入っていた」とあり  『大阪編年史 第5巻』(大阪市立中央図書館/編集 大阪市立中央図書館,1968.11)p.11-13 には、関係古記録が載せられている。  『大阪市史 附図』(大阪市参事会/編纂 大阪市参事会,1912) の「大阪市史附図目次および説明の河川の項」には、改さく年、流域、変せんがなどか詳しくしるされており  『大阪市統計書 3(明治34年)』(大阪市役所/[編] 大阪市役所,1903)p.4-5 には、上流名称「西区靭南通1丁目」、下流名称「西区靭南通5丁目」とある。 また  『大阪市橋梁管理地図 』( 大阪市土木局土木部/編  大阪市土木局土木部,1966)  の西区の地図の上に埋め立てられた川の流域図があって、当時の流路を知ることができる。

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