①『味地草』(小西友直・小西錦江 編/名著出版/1972)に、「洲崎 新羅巽の海中にあり 乾より巽に至て長三町餘艮より坤に至て幅壱町許 往昔は蛇の鰭につゞき(塩屋村に属す)けるが天正年中地震の時切れたり されど今海底浅くして是を修補せば港中大に静ならんと云」と記述あり。
②『淡路国名所図絵』(藤井彰民 著/1825年序の写本を謄写したもの)pに、「一説に天正年間地震の為に蛇鰭と洲崎の間きれて海に落入たりといふ」と記述あり。
③『淡路之誇 上巻』(片山滴園 編纂/実業之淡路社/1929.6)には、「此の洲は元阿萬村方面の蛇の鰭に続いて居たが天正年間の地震に中間部が陥没して、今の洲崎が残ったと云ふ説もある」と記述あり。
④『福良むかしむかし』(前田勝一 著/1991)には、「もともとは蛇の鰭と洲崎が地続きで、(略)天正とも、宝永とも 年代は、いろいろ説があるが、地震で切断されて現状になったという。」と記述あり。
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