『滋賀県史昭和編 第3巻』によりますと、「本県の乳用牛飼養は『滋賀畜産通信』三九号の記事によると、明治三年、坂田郡神照村(現長浜市)在住の林幾太郎が、北陸地方の某県(県名不明)から雌子牛一頭を導入したのに始まる。同氏はこれを育成し、やはり北陸地方から入手した雄牛を交配して分娩させた。搾乳技術も分娩までに北陸地方で習得し、搾乳にも成功した。牛乳の販売には最初は困ったが、当時の長浜町内に進歩的な医師がいて、病人に牛乳の飲用を勧めた。その結果、牛乳引用者が漸増していった。」とあります。最初の乳用牛の種類は不明ですが、「明治四三年(一九一〇)にホルスタイン種雄牛を直輸入して県有種雄牛とし、同種の改良に努めた。その結果、大正中期ころからは、当時における必要泌乳能力の乳牛は、県外からの移入によらず県内産のもので充当しうるようになった。」とあります。
参考資料: 1 滋賀県史 昭和編 第3巻 農林編 滋賀県史編さん委員会∥編さん 滋賀県 1976年 S-2700-3 p.481,
参考資料:
2 滋賀縣の畜産 滋賀縣∥編 滋賀縣 1935年 5-6400- 35 p.12,
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