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 川田甕江の文久3年11月29日の日記に「高野廣馬」という人物が来た、という記載がある。  インターネットでは「矢沢家文書」(松代領関係。長野市公文書館で複製を所蔵)に「高野廣馬」の名前が見られる。人名事典などに記載があるか。(県立長野図書館)

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 高野廣馬は、幕末の松代藩士、勤王家、明治時代の政治家(文政11年~明治41年6月11日)。人名の項目がある資料として以下がある。   ア 『更級郡埴科郡人名辞書』信濃教育会更級教育部会、信濃教育会埴科部会/編 象山社 1978年 (1939年 編者発行の復刻。自館請求記号 N280.3/2-1)     p262-263の「高野眞遜」の項目に「通称を廣馬、謙齋と號す」とある。   イ 『松代町史 下巻』大平喜間多/著 臨川書店 1986年 (1929年松代町発行の復刻。自館請求記号 N212/236)     p673-674に「高野眞遜」の項目あり。資料アは資料イを主な出典としている。     資料ア、イとも肖像写真が掲載されている。   ウ 『真田家家中明細書』国立史料館/編 東京大学出版局 1986年 (自館請求記号 N280/136)     p183-184に「高野廣馬」の項目あり。    以下の資料には人名の項目なし。  資料アには「郷にあっては村の排水に力を注ぎ加賀井に堤を築いた。その記念碑の撰文及び書は万延元年眞遜がものしたものである」という記載がある。  碑文は   エ 『長野市の石造文化財 第4集』郷土を知る会/編 長野市教育委員会 1981年 (自館請求記号 N714/8/4)のp186 に記載。  また明治3年に発生した松代騒動(午札騒動)時には藩権大参事を務めており、その対応については   オ 『長野県史 通史編第7巻』長野県/編 長野県史刊行会 1988年 (自館請求記号 N209/11-4/7)    カ 『長野市誌 第9巻』長野市誌編さん委員会/編 長野市 2001年 (N212/318/9) などがある。

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