当館所蔵の『朝日新聞 地方版 千葉』のご照会の日付について確認したところ、該当すると思われる記事を見つけましたので、以下に書誌事項と掲載個所を記載します。なお、このマイクロフィルムには、千葉面・千葉首都圏面・千葉房総面の3種類の地方面が収録されています。
当館請求記号:YB-221
新聞タイトル:朝日新聞 地方版 千葉
資料形態:マイクロフィルム
掲載日・掲載箇所・記事見出し:
1992年6月5日朝刊千葉面(27面)「 チェルノブイリ被災の子らに夏休みのカンパを 千葉の主婦ら」
(*同日の千葉首都圏面(27面)および千葉房総面(27面)にもタイトル、記事内容が全く同一の記事あり)
1992年8月1日朝刊千葉面(23面)「 千葉の夏楽しんでね ベラルーシの子、来日 」
(*同日の千葉首都圏面(23面)および千葉房総面(23面)ではタイトルが「ベラルーシの子供たちが千葉・鴨川で保養」となっているが、記事内容が全く同一の記事あり)
1992年8月19日朝刊千葉面(23面)「 ベラルーシの子 元気に夏楽しむ」
(*同日の千葉首都圏面(23面)および千葉房総面(23面)にもタイトル、記事内容が全く同一の記事あり)
また、当館で契約している朝日新聞社の新聞記事情報データベース『聞蔵Ⅱビジュアル』で、1992年1月1日~12月31日の範囲で、「「チェルノブイリ」と「児童」または「子ども」または「子供」」を検索語に指定して、記事の調査を行いました。関連すると思われる記事の情報を以下に記載します。
【調査済みデータベース】
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞記事データベース)
検索対象:1992年1月1日~12月31日の朝日新聞
検索語:チェルノブイリ&(児童+子ども+子供)
アクセス日:2013年1月18日
1992年3月2日夕刊2面「被災児6人と医師ら来日 長崎で検査と研修(チェルノブイリに光を)」
1992年3月3日夕刊2面「少女6人が入院 日赤長崎原爆病院(チェルノブイリに光を)【西部】」
1992年3月12日朝刊2面「被災の少女とお別れパーティー(チェルノブイリに光を) 【西部】」
1992年2月3日朝刊千葉面「チェルノブイリ被害の子らの保養を阻む改革余波 日本への運賃20倍」
1992年3月29日朝刊1面「チェルノブイリ被災児保養、日本の家庭で 5人が千葉で1カ月 」
1992年4月2日朝刊千葉面「鴨川でチャリティー展 チェルノブイリ被災の子供を引き受けた夫妻」
1992年4月3日朝刊千葉面「チェルノブイリ被災の子を保養、協力訴えチャリティー展 鴨川」
1992年4月12日朝刊千葉面「ベラルーシのチェルノブイリ被災児、保養ステイの鴨川に到着」
1992年4月19日朝刊千葉面「原発被災したベラルーシの子供たち、歓迎会に笑顔でこたえ 鴨川」
1992年5月10日朝刊京都面「チェルノブイリ原発事故で被ばくの子ら、7月に京都へ」
1992年5月16日夕刊らうんじ面「汚染地域の子ら回復 「チェルノブイリ事故」で千葉・鴨川に招待」
1992年5月18日朝刊千葉面「「みんなの親切に感謝」 鴨川で保養のベラルーシの子ら帰国 」
1992年6月3日朝刊兵庫面「被ばくの子ら来日、高砂で交流 チェルノブイリ原発事故 」
1992年7月4日朝刊1面「ベラルーシの子供たちに協力を 受け入れの輪広がる(天声人語)」
1992年7月15日朝刊京都面「ベラルーシの原発被災児ら、宇治で憩う 」
1992年7月18日朝刊兵庫面「高砂にチェルノブイリの子ら ホームステイで交流 」
1992年7月20日夕刊2面「馬庭京子さん チェルノブイリ基金京都(人きのうきょう) 【大阪】」
1992年7月31日夕刊2面「チェルノブイリ被災児35人が来日 東京の市民グループが招く 」
1992年8月8日朝刊千葉面「ベラルーシからの子5人、大原の農家で合宿を楽しむ 千葉 」
1992年8月30日朝刊千葉面「ベラルーシの子がカヤックに挑戦 鴨川 」
1992年9月1日朝刊千葉面「ベラルーシの子どもたち、元気になり帰国の途に 千葉・鴨川に民泊」
1992年10月18日朝刊2面「チェルノブイリ原発被災児ら来日へ」
1992年12月2日夕刊らうんじ面「旧ソ連の児童ら約70人招き閉幕へ(チェルノブイリに光を)」
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