関栄覚について記載された資料は下記の通りです。
1.『昭和人名辞典 3』(日本図書センター 1994.9)
和歌山 p.9「関栄覚 中僧正。三宝院住職。伊都郡高野山町高野山(1字不明)八。【閲歴】新潟県昌平長男。明治十年八月二三日。同県南魚沼郡浦佐村に生る。同二一年高野山に登り津村教栄師につきて得度。同三五年林卒業醍醐寺執行に就任。大正三年真言宗開教監督として布哇に赴き真言宗別院を建設(2字不明) 後大学林監宗務所財務部部長金剛峯寺執行大使教会参事金剛峯協議会議長等歴職金剛峯寺(3字不明)学寮修道監事たり。趣味社会事業(家庭)長男信男(大五)三高卒」
底本『大衆人事録』第14版 昭和18年、帝国秘密探偵社
印刷が不鮮明な部分があり、文字が読みとれない箇所があります。句点は原文にはなく、適宜付与しました。
2.読売新聞1957年2月14日夕刊5頁に死亡記事があります。
「関 栄覚師(大僧正、元高野山管長、現三宝院住職)老衰のため十四日午前六時三十分自坊で死去。八十二。葬儀は十六日午後一時から自坊で行う。高野山大学卒、戦後高野山管長を二期、ハワイ戒教総務監督を務めた。高野山真言宗の長老。」
3.朝日新聞1957年2月14日夕刊3頁10段に死亡記事があります。
「関 栄覚氏(元高野山真言宗管長金剛峯寺座主、高野山三宝院住職)十四日午前六時半老衰のため死去。八十二歳。元和歌山県公安委員長などを務め山内の長老であった。葬儀は十六日午後一時から三宝院で行われる。」
4.『宗教研究 第54巻 第3輯 246』1981.3(日本宗教学会/編集 日本宗教学会)
「ハワイ日系人と大師」星野英紀
p.66に「明治35年ころハワイに移民した湯尻法眼は(略)みずから大師堂を建立し、(略)領事館も事態を憂慮して、日本の高野・醍醐派に正式僧侶の派遣を要請した。こうした事情をうけて、大正3年日本より真言僧関栄覚が、はじめての正式開教師として着任した。」との記述があります。
5.『論集日本仏教史 9 大正・昭和時代』雄山閣 1988.6
p.304「ハワイの総領事は(略)高野・醍醐の両本山に監督者を派遣するよう申し入れる」
この他和歌山県立図書館所蔵の
『高野山僧伝聞書 近・現代篇』(山口 耕栄/編著 高野山大学 1981)
p.42に関栄覚氏の経歴が記載されているそうです。内容は1と同じような内容だそうです。
和歌山県立図書館に1と5の資料を紹介していただきました。
府立図書館所蔵資料の複写が必要な場合は別途複写申し込みをご利用ください。
参考資料:『昭和人名辞典 3』(日本図書センター 1994.9)(ページ:和歌山 p.9),
参考資料:読売新聞[東京]マイクロ版昭和32年2月(ページ:2月14日夕刊5頁),
参考資料:朝日新聞縮刷版1957(昭和32)年1-2月<427-428>(ページ:2月14日夕刊3頁10段),
参考資料:『宗教研究 第54巻 第3輯 246』1981.3(日本宗教学会/編集 日本宗教学会)(ページ:66),
参考資料:『論集日本仏教史 9 大正・昭和時代』(雄山閣 1988.6)(ページ:304),
参考資料:『高野山僧伝聞書 近・現代篇』(和歌山県立図書館所蔵)(2012.02.07現在), (ホームページ:https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/licsxp-opac/WOpacTifSchCmpdExecAction.do)
参考資料:大阪府立図書館 Web複写サービス利用案内(2012.02.07現在), (ホームページ:http://www.library.pref.osaka.jp/cpy_usage.html)
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