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高松の日傘について

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 明治20年ごろ、高松市宮脇町の上春岩吉が、高松の手漉和紙と塩江の竹を使って、日傘の生産をはじめた。第一次大戦後は、国内だけでなくアメリカへも販路をひろげた。大正末期から昭和15年ころまで、高松のあちこちの空地で色とりどりの絵日傘を干している風景がみられた。輸出先もアメリカをはじめインド、イギリスなど多くの国へ送り出した。昭和5年の統計では、製造業者110軒、年間91万余本が生産され、このうち外国向けが88万余本にもなった。昭和15年ごろから輸出がとまり、25年ごろから洋傘の普及で減少し、今は数軒の業者によって、舞傘などがつくられているだけになった。

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