時系列を整理すると、摩耶観光ホテルができたのは1930年。営業開始は1932年。
第1次世界大戦は1914年から1918年。徳島県の捕虜収容所があったのは1917年から1920年なので、
第1次大戦の線は薄いと思われる。
六甲摩耶鉄道の社史『六甲山とともに五十年』p128には「海外引揚者が住みつき」旨の記載あり。
『兵庫の素顔』の「軍艦ホテル」の項目にも同様の記述あり。
金子直樹「「廃墟」の歴史地理-摩耶観光ホテルを事例に-」『人文論究』第55巻1号p.63-88に上記文献のほかにいくつかの文献を引いて同ホテルのいきさつを紹介している。
上記3点にはそれ以上の記載なし。
『関西のモダニズム建築』(2014) p.65-71に設計者について触れているなど、同ホテルについて詳しい。質問の戦後の状況については記載なし。
第2次世界大戦時に連合国捕虜を収容した施設について書かれている本はいくつかあるが、戦後に日本人やドイツ人を収容したものについては見当たらず。
#ホテル名は「摩耶観光ホテル」「摩耶山温泉」「摩耶ホテル」「摩耶倶楽部」「軍艦ホテル」など文献によりブレがあり。
参考資料:『六甲山とともに五十年』1982, (PV:0000605469)
参考資料:『兵庫の素顔』, (PV:0000313786)
参考資料:『人文論究』第55巻1号, (PV:0000313786)
参考資料:『関西のモダニズム建築』2014, (PV:7200385639)
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