シベリア捕虜に関する資料を調査。
「捕虜体験記4 ハバロフスク編」によると、ホリモリンは日本人捕虜間で呼ばれていた地名で、地図に記載されている地名は“フルムリ”となる。また、ドウキについても、地図上では“ドーキ”と表記される。
フルムリ地区はコムソモリスクから北西に約200km、アムグン川を越えた地点までのことをいい、コムソモリスク市内の収容所を含め、約50ほどの収容所が点在していた。その中で、エボロンから北西を第4支部と言われ、その地域の中にドーキが含まれている。
この「捕虜体験記4」にフルムリ地区の地図が掲載されている。
また、雑誌「オーロラ」第16号の記事「ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会」に、フルムリとドーキの手書きの地図が掲載されている。
このほか、「タイムズ世界地図帳」でも地名を確認。おおよその位置を確認することができる。
参考資料: 1 捕虜体験記 4 ハバロフスク地方篇 ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会∥編 ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会 1985.10 916/HO/4,
参考資料:
2 オーロラ 通巻16号 ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会 Z304,
参考資料:
3 タイムズ世界地図帳 雄松堂書店(発売) 2003 290.38/TI,
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