ご照会の中澤篤譲について、「これまで調査した内容」に名前の出てくる広瀬進一との関係も含めて調査しましたが、経歴等について手がかりとなる情報は、得られませんでした。
なお、所蔵機関調査のご希望がありますが、お求めの情報が掲載されている可能性のある資料が不明のため、調査はできませんでした。
(調査済み資料・データベース)【 】内は当館請求記号
・三原憲三 著 死刑存廃論の系譜 第6版 成文堂 2008 【A761-J3】
109-110ページ(第二章第三節 わが国における死刑廃止論の台頭)に以下の記述があります。
「-前略-、中澤篤譲(6)、-中略-らが、死刑廃止をするどく主張している。」
また、112-115ページの注記(6)で、混々新話第3号の「死刑廃スヘキヲ論ス」が引用されていますが、著者である中澤篤譲に関する記述はありません。
・三原憲三 著 死刑廃止の研究 第6版 成文堂 2010 【A761-J11】
・辻本義男 編著 史料日本の死刑廃止論 成文堂 1983 【AZ-761-20】
・向江璋悦 著 死刑廃止論の研究 法学書院 1960 【326.41-M899s】 デジタル化済み資料(館内限定公開)
・日本法曹界人物事典 別巻(解説・人名索引)ゆまに書房 1996 【A112-E264】
・篠原敏男 編 大日本法学博士要覧 鉱政会 1968 【A112-2】
・帝国議会衆議院請願 第1回(明治23-24年 文書表) 【BZ-4-T09】
新第243号 再出 24年2月9日 死刑廃止請願
・帝国議会衆議院議事速記録 東京大学出版会 【BZ-6-15】
第14回 第25号 明治33年2月13日 507-509ページ
刑法中改正法律案
第15回衆議院(本会議)議事速記録第16号 明治34年3月21日 283-284ページ
刑法中改正法律案
第16回衆議院(本会議)議事速記録第10号 明治35年1月29日 160-161ページ
刑法中改正法律案
上記ほかで、死刑廃止についての議論がありますが、中澤篤譲に関する情報は見あたりません。
また、帝国議会の本会議及び委員会の議事録は、当館Webサイトで公開していますが、第1回から第87回の会議録については、議事部分のテキスト全文検索はできません。
「目次・索引検索」と「発言者検索」のみ可能です。
国立国会図書館>国会関連情報-国会関連データベース>帝国議会会議録検索システム
(http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/)
・勢藤修三 死刑制度-15-死刑廃止論 法学セミナー 26巻7号(通号329)1982.7
126-129ページ 【Z2-19】デジタル化済み資料(館内限定公開)
・勢藤修三 死刑制度-17-死刑廃止運動-1- 法学セミナー 26巻9号(通号 331) 1982.9
82-85ページ 【Z2-19】デジタル化済み資料(館内限定公開)
・勢藤修三 死刑制度-18完-死刑廃止運動-2- 法学セミナー 26巻10号(通号 332) 1982.10
124-127ページ 【Z2-19】 デジタル化済み資料(館内限定公開)
・足立昌勝 近代国家と死刑廃止の是非 関東学院法学 8巻2号 1999.1 1-28ページ
【Z2-2284】
・家永三郎 明治時代の死刑廃止運動 社会改良 1巻3号 1956.3 4-8ページ 【Z6-290】
・皓星社 雑誌記事索引集成データベース (当館契約データベース)
・神崎一作 編 破邪叢書 哲学書院 明26 【70-189】 デジタル化済み資料(館内限定公開)
第2集113ページ 詩二首の項に、廣瀬篤譲(進一)の「斥造化説」と題する漢詩が掲載されています。
・山本邦彦 編 広瀬進一 閲 現行法律大成 刑法・治罪法の部 須原鉄二 明15 【CZ-5-02】
デジタル化済み資料(館内限定公開)
・広瀬進一 (雪堂) 述 藤田祐真 記 十七憲法和解 水野佐助 明22 【特39-11】
国立国会図書館のホームページ>国立国会図書館デジタル化資料-図書
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/786924
・広瀬進一 述 藤田祐真 記 十七憲法和解 再版 水野佐助 大正9 【11-328】
国立国会図書館のホームページ>国立国会図書館デジタル化資料-図書
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927105
・聞蔵Ⅱビジュアル-朝日新聞縮刷版1879~1989 (当館契約データベース)
1898年9月28日 朝刊
「告市内真宗諸氏」の記事中に、免囚保護会社設立にかかわった人物の一人として、廣瀬進一の名前があがっています。
1900年3月3日 朝刊
「真宗齊修会」の記事中に、出獄人保護にかかわった人物の一人として、廣瀬進一の名前があがっています。
・ヨミダス歴史館-明治・大正・昭和 (当館契約データベース)
1892年3月18日 朝刊
「雪堂知事の近作」新任秋田県知事廣瀬進一氏の漢詩が掲載されています。
・近現代日本政治関係人物文献目録
国立国会図書館>調べ方案内>リサーチ・ナビ>しらべるためのツールあれこれ-
国立国会図書館のデータベース一覧
http://rnavi.ndl.go.jp/seiji/
・日本人名情報索引(人文分野)データベース
国立国会図書館>調べ方案内>リサーチ・ナビ>しらべるためのツールあれこれ-
国立国会図書館のデータベース一覧
http://rnavi.ndl.go.jp/jinmei/
事前調査事項:自館第1次調査済事項
中澤篤讓なる人物については区内各種人物事典辞典に記述無し。
但し、①法制官僚の広瀬進一(1845~1904・秋田県知事)の旧名が篤讓らしいということと(ウィキペディアより)、②関東学院大学文学部紀要第117号(2009)に「世界ノ万国ハ断然死刑ヲ廃ス可キヲ論ズ」(1881・明治14)(タイトルが似ている)という項目があることを確認した。この論文内容については未確認。中村克明教授の「植木枝盛 タイトル索引」というタイトルらしい。
都立図書館へのレファレンス回答↓
文中の書名などの後の( )内は都立中央図書館請求記号。
1.中澤篤譲について資料1~8を調査したが、該当の記述を見出すことはできず。
資料1:『日本紳士録(3版,明治28年度)』交詢社 1896.11(R/2813/N688/N2-3)
資料2:『日本紳士録(10版,明治39年用)』交詢社 1905.12(R/2813/N688/N2-10)
資料3:『人事興信録(1版,明治36年)』複製版 興信データ 2000.10(R/2813/Z290/Z1-1)
資料4:『明治過去帳 物故人名辞典』新訂版 大植四郎編 東京美術 1983(R/2813/3A/83)
資料5:『明治大正人物事典 1 政治・軍事・産業篇』日外アソシエーツ 2011.7(R/281.03/5146/1)
資料6:『明治大正人物事典 2 文学・芸術・学術篇』日外アソシエーツ 2011.7(R/281.03/5146/2)
資料7:『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和編 す~わ』新訂増補 日外アソシエーツ 2000.7(R/281.03/5023/4)
資料8:『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和編 2 せ~わ』新訂増補 日外アソシエーツ 2010.12(R/281.03/5023/4-2)
2.調査済み事項に記述されていた事項
(1)法制官僚・広瀬進一について
○資料9、p.166に「9代知事 広瀬進一 秋田県知事 任期 明治25年(1892)3月8日~明治25年(1892)8月20日」とあり、本文中には、「~弘化2年2月(1845)に滋賀県犬上郡日夏村の専精寺の住職の長男として出生。~」とある。
○資料10、p.474-478「Ⅲ人と法思想 5 明治十年の小野梓-広瀬進一関係の文書を通じて 二 広瀬文書の調査と乱緑園主人漫筆に広瀬文書」と記述がある。
○資料9、10とも、質問の人物「中澤篤讓」との関わりについての記載なし。
資料9:『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会編集 歴代知事編纂会 1991.11(R/3182/3043/91)
資料10:『福島正夫著作集 第1巻』福島正夫著 勁草書房 1993.12(3208/3003/1)
(2)「関東学院大学文学部紀要」第117号の論文等について
○中村克明「植木枝盛 タイトル索引」は資料11の第4章にも収録されており、『植木枝盛集』全10巻(岩波書店 1990-1991)の収録文献等のタイトル索引である旨が記述。
○この索引から「世界ノ万国は断然死刑ヲ廃ス可キヲ論ズ」は資料12のp.209-215に掲載されていることが分かる。そこには論文および出典「明治14年1月13・22日 『愛国新誌』20・21号 署名 植木枝盛稿」の記載がある。また、資料13、14にも記載あり。
○植木枝盛については『大日本百科全書』(小学館)や『国史大辞典』(吉川弘文館)等に該当項目があるが、「中澤篤讓」との関わりについての記載なし。
資料11:『植木枝盛 研究と資料』中村克明著 関東学院大学出版会 2012.2(289.1/ウ9/602)
資料12:『植木枝盛集 第3巻 新聞雑誌論説 1』植木枝盛著 岩波書店 1990.5(3080/3006/3)
資料13:『史料日本の死刑廃止論』辻本義男編著 成文堂 1983.4(3264/32/83)p.21-27
資料14:『明治文化全集』第14巻 自由民権篇 明治文化研究会編 日本評論新社 1956.11(0816/M448/M1-14)p.156-162『愛国新誌』第20号
秋田県立図書館へのレファレンス回答↓
下記資料を調査。旧名や「中澤篤譲」との関連については、記述を確認できず。
①「秋田県知事物語 その人その時代」 広瀬進一 第94~101回
(『秋田魁新報』連載記事)
執筆者:川原衛門(作家・仙北村出身)
連載日:昭和47年2月9日~2月23日にかけて、8回連載
②『秋田県人物・人材情報リスト 2011』(日外アソシエーツ,2010)
③『秋田大百科事典』(秋田魁新報社,1981)
④『秋田人名大事典』第2版(秋田魁新報社,2000)
⑤『秋田魁新報百二十年史』(秋田魁新報社,1995)
⑥『歴代秋田県公人録』(瀬谷純一/著,1915)
⑦『秋田県政史』上巻 (秋田県議会,1955)
⑧『秋田魁新報』明治25年3月20日朝刊3面 広瀬進一経歴
上記資料①には、執筆者川原氏の調査による経歴が、詳しく記載されている。
「昆々新話」の論文が掲載された1877~1878年頃までの経歴について、以下、抜粋。
○滋賀犬上郡日夏村 弘化2年2月生まれ
明治32年11月 小石川区髙田老松町 に転籍
明治37年死亡
子息 巨海(おおみ)
(執筆当時に文京区役所に存在していた明治36,7年頃の
広瀬進一の戸籍 より)
○専精寺(本願寺派)の住職の長男
近隣の円照寺の住職 水原宏遠に師事し、漢籍や書を学ぶ。
14,5才になると、寺のそばに塾を建て、付近の子弟を教える。
(彦根市日夏町に住む小林実玄氏談)
※以降については、出典について記載なし。
○水原宏遠を通して名声が藩主に届き、17,8才のとき、
「彦根随一の学才」として彦根藩に仕える。
○三条実美の知遇も得、王政復古の大号令をきっかけに上京。
大政院正院十等出仕。
以降、明治10年1月に法制局二等属、明治14年8月に参事院議官補、
明治15年12月に法制局参事官 と出世。
○明治4(1871)年9月 東京府に転籍。築地本願寺に出入りするように
なる。
○明治14(1881)年頃、築地本願寺の「刑務所囚人への救誨(かい)」を
寺僧個人の篤志から、寺執行の事業とすることに尽力。
○郷里の専精寺の寺領であった土地を処分し、小石川区髙田老松町に
2千坪の土地を購入。
以上
秋田県公文書館へのレファレンス回答↓
秋田県公文書館所蔵の明治25年以前「旧高等官履歴」(資料番号930120-30391)にある広瀬の履歴には、中澤篤譲と同一人物であることを示す記載は皆無。
文献資料では「秋田県知事物語」(秋田魁新報社)が最も詳細であるが、広瀬進一は長州藩の広瀬家に生まれており、中澤家から養子等に入った事実はなかった。
「旧高等官履歴」によれば、「混々新話」が刊行されていた明治10年11月から11年5月までの間、広瀬は司法省の法制局に勤務していた期間があるとのこと。詳細は以下。明治9年5月16日に法制局一等書記官になり奉職中に「明治史要」を編纂したあと、明治10年1月18日に太政官に転任し、明治11年1月16日に再び法制局に戻り、同年3月18日に太政官で地方官会議御用掛に転任している。その後も秋田県知事に任命されるまで、何度か法制局に勤務している。
彦根市教育委員会事務局文化財部市史編さん室のレファレンス回答
諸資料を検索。
滋賀県教育会編『近江人物志』(臨川書店 大正6年〈1917年〉)に該当人物の情報があり。その内容を下記に引用(旧字は新字に直しました。また、2500年代の数字は皇紀です)。
広瀬進一 二五〇五-二五五〇
進一は犬上郡日夏村の人にして弘化二年(二五〇五)二月十二日に生る。夙に文事を好み、郷党の子弟を薫陶す。始め専修寺の住職となり、後井伊家に仕へ、後随ひて東京に移りしが進みて大蔵書記官となり、又秋田県知事に任ぜられたり。
以上
それ以外の調査済資料
・死刑廃止論 第6版 団藤 重光 有斐閣
・交詢社の百二十五年 交詢社編
・小野梓 中村 尚美 東京 早稲田大学出版部 4-657-89516-8
・広瀬の妻が長三洲の妹だということも判明しているが、このことがどう関係してくるかは不明。
出典の定かでないウィキペディアの情報だけをよりどころに調査してきました。もう広瀬進一からは離れるべきかと考えてもいます。それにしても「篤譲」がどこからも一向に出てこないのは奇怪でさえあると思っています。何卒よろしくお願いいたします。
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