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「あられ松原」について知りたい。

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 「安良礼(あられ)(霰)松原」とは万葉集にも見える古い地名で、今の住之江区安立町付近であったとされています。  長い年月の間に新田開発や埋立が進み今では住之江区でも内陸部といえる安立町ですが、江戸中期頃はこのあたりまでが海岸線でした。海辺にそって松原が広がる景勝地であったことから安良礼(あられ)松原の名が生まれました。また、松が粗くまばら(疎)に生える松原として「あらら松原」の語があり、それが転じたとの説もあるようです。  「万葉集」の巻1には、長皇子(ながのみこ)の歌として、「霰(あられ)打つ 安良礼松原 住吉(すみのえ)の 弟日娘(おとひをとめ)と 見れど飽かぬかも」が収められています。  また、室町時代の公家三条西実隆の「高野参詣日記」にも、「和泉の堺にまかりこゆとて、みちすがらの名ある所どもいひつくすべくもあらぬ見ものなり、霰松原といふ所をすぐとてみれば世のつねの松のはにも似ず、吹からしたるやうにみえ侍れば」との記述と、「木枯の 吹しほる色と みるはかり なにあらはるゝ あられ松原」の歌があります。  そのほかにも、歌枕である「霰松原」を詠みこんだ歌は何首もあり、「さよ更けて 霰松原 すみよしの 浦ふく風に 千鳥なくなり」(藤原知家)、「冬もいま日数つもりの浦さへて 雪にも成りぬ霰松原」(僧正行意)、などが『大阪府全志 3』、『移りゆく住よし』の中で紹介されています。  住之江区安立2丁目の霰松原公園内には、現在では万葉歌碑も建てられ、霰松原史跡として整備されています。

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