該当する写真や資料は見当たらなかった。
回答プロセス:次の資料にあたったが、該当の梵鐘の記述は見当らなかった。
『新編埼玉県史 通史編 6 近代』(埼玉県 1989)
「昭和16年(略)8月「金属類回収令」を制定し、積極的に金属回収運動を展開した。(略)さらに、17年5月には「金属回収令」が公布され、重要な美術品をのぞく寺院の仏具、梵鐘類の供出が強制的に命じられ、19年には金属製の仏具も供出されている」
『埼玉佛教百年史』(第25回全日本仏教徒会議埼玉大会実行委員会 1977)
年表「昭和17.11 金属不足のため寺院の鐘を回収」
『埼玉県行政史 2』(埼玉県 1990)
『埼玉の文化財 14』(埼玉県文化財保護協会 1974)
p25-26「金属回収令と梵鐘供出」(稲村坦元)
『郷土はとがや 鳩ヶ谷郷土史会会報 26』(鳩ヶ谷郷土史会 1990)
『加須市史 通史編』(加須市 1981)
『加須市史 資料編 2 近現代』(加須市 1983)
『新聞記事に見る郷土のできごと 調査報告書8』(加須市 1981)
p100「保存と決まった名梵鐘」(昭和17.8.5 朝日新聞)では三俣村の医王寺の名があがっている。
記事中に、文部省では慶長年間以前の在銘梵鐘は供出を強制しないことや小川元吉氏の『埼玉県における寺院の梵鐘』の調査結果に基づき回収工作を進めるとある。
自館作成DB《埼玉関係雑誌記事索引》より、浮城生著「我埼玉県に於ける寺院の梵鐘」(『埼玉史談 4(3)』p193-197 埼玉郷土会 昭和7)に記事中の引用内容と同様の結果あり。
『企画展「戦争で失われた文化財」展示図録』(埼玉県平和資料館 1994)
『目で見る行田・加須・羽生の100年』(郷土出版社 1999)
『行田・加須・羽生の今昔』(郷土出版社 2007)
『写真集明治大正昭和加須』(国書刊行会 1979)
自館作成DB《埼玉新聞記事見出し》1943.4.1~2009.12.31
《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》
〈金属類回収〉〈梵鐘〉〈光明寺〉で検索するが、該当情報見あたらず。
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