『いけばな:歴史を彩る日本の美』(京都府京都文化博物館/編集 京都府京都文化博物館 2009.10)
158頁にはジェームズ・ボウズのJapanese potetery 、ジョサイア・コンドルのThe Floral art of Japanの図版と説明、159頁には「IKEBANAの書-コンドルとボウズ」というコラムがあります。
『日本いけばな文化史 4 前衛いけばなと戦後文化』(工藤昌伸/著 同朋舎出版 1994.7)
126頁から130頁には「いけばなの国際化」という項目で、昭和20年以後のいけばなの海外進出等について記事があります。
「日本の伝統文化として」の項には、
「戦前における外国人の日本のいけばなの受容は、主として伝統文化としての古典的いけばなに対する興味からであった。しかしながら、戦後の米国の婦人たちがレッスンに参加し身につけた日本のいけばなは、これとは違って自由花であった。伝統的な日本のいけばなが、明治以降の西洋化の影響を受け、盛り花や投入を軸としてつくりあげた自由花は、外国人たちが容易に理解できる、身近な花の造形であった。しかも、実用性を重視する米国の婦人たちにとって、欧米風の生活空間にも適応性をもつ自由花は魅力的なものであったに違いない。同じ花の造形である西欧のフローラル・アートは、例えばパーティなどにおける花のデコレーションのためには、専門家であるフローリストに依頼するのが普通であり、ハウスワイフである彼女たちの仕事ではなかった。これに対して日本のいけばなは、自分たちの手でいける事ができ、しかもそれが伝統的な日本の芸術であるという点において、いっそう彼女たちの興味と喜びを深めたものであることは間違いない。…」
「草月、小原、池坊の海外進出」の項では、
「…蒼風の造形作品は、わが国においては伝統的ないけばなからはみ出したものとして批判され、いけばなか彫刻か、と騒がれたものだが、ヨーロッパではそれまで存在しなかった新しい彫刻の傾向の彫刻として驚きの眼をもって迎えられた。…」
等々の記述があります。
『日本いけばな文化史 5 いけばなと現代』(工藤昌伸/著 同朋舎出版 1995.12)
90から104ページには
「フローラルアートといけばな」という記事があります。そのうち、
「フローラル・アートといけばなの出会い」の項では、
90頁下には「保存のきくドライフラワーの輸入はこの時期(1960年代前半:担当者註)に始まり、前衛いけばなに用いられ、やがて新しい傾向の日常的ないけばなにも次第に使用されるようになっていった。間接的ではあるが、素材面からいうと、いけばなに対するフローラルアートの影響はこのときはじまったといっていい。逆に1960年代後半には、わが国で漂白、着色された、すすきをはじめとする乾燥素材が大量に外国に輸出されるようになる。…」
「いけばなにおけるマッス表現」の項では、
100頁下「従来、いけばなの造形的な特性は、外国人によって指摘されたように、ラインアレンジメントにあって、フラワーデザインは日本では一般にマッス・アレンジメントであると言われてきた…」
「完結性をもたないいけばな」の項では、
102頁上から下「勝手を定めたいけばな古典の生花であれ近代の自由花であれ、すべて作品そのものが独立した完結性をもっているものではなく、与えられた環境の中で周囲とバランスをとって存在するものだと言える…(中略)…独立した作品ではなく、環境に適応するように形が定められていた。」「…これに対してフラワーデザインという花の造形は、マッス・アレンジメントから出発しているだけに、完全なシンメトリーではなくてもその構成は完結性をもっている。…」
等々、いけばなのフローラルアートの関係に言及されています。
その中に名前の挙がるマミ川崎さんの自伝
『花のむこうにみえたもの:マミ川崎、フラワーデザインに捧げた半生』(マミ川崎/著 中央公論新社 2004.3)
P61には
「生け花になくてフラワーデザインにだけあるものは何かと言うと、コーサージやボケー、つまり「身につける花」です…」云々とあります。
『いけばなにみる日本文化:明かされた花の歴史』(鈴木榮子/著 思文閣出版 2011.2)
223頁よりジョサイア・コンドルのThe Floral art of Japan他より生け花とフローラルアートの比較が少し抜粋されて訳されています。
「…日本人の、種々の器に入れられた切り花の花飾りは、相当に優雅な、装飾的な芸術になっている。比べて、西洋の花の作品の作り方は、単にでたらめに組み合わせたようにしか見えない。ブーケ、リース、ガーランドなどは、開花や葉を混雑するほど豪華に、一塊に寄せることで美しさを出すので、より簡素で空間をとった日本人の作品とは似ても似つかなくなる。…」
259、260頁にその部分の注があります。
『花の読みかた』(さとうてつや/著 新潮社 1998.2)は安達瞳子、竹沢紀久子、高橋永順、ジュンコ人見、岡田広山、飯田倫子の7人の女性アーティストのインタビューを交えた評伝です。「はじめに」では、
「総じて日本の花はいまどういう位置にあるのか」「縦割りではなく、横割りの評価ができないか」「花の分野では個性はどうしたら確立できるのか」といった基本的なことについて具体的に分析してみようと試みた」とあり、
安達瞳子さんの項には、33頁から40頁まで「フラワーアレンジのように活けない」という一節があります。
例えば15頁「安達瞳子は花を《色で活けない》。フラワーアレンジメントではないのだから、当然と言えばそれまでだが、色で活けた作品は一つもない。…(中略)…」などという記述があります。
マミ川崎さんの項もあります(P.155-180)。
『花いっぱいの人生:いけ花外交の旅』(大野典子/著 河出書房新社 1995.5)は
世界を文化使節として廻られた方の著作ですが、各地で生け花をされた時の反応、海外で活けられる時の独特の工夫などが書かれているようです。
『花が時をつなぐ:フローラルアートの文化誌』(川崎景介/著 講談社 2007.4)は
世界中のフローラルアートに言及していますが、特に202頁から235頁の第三章「西と東のあいだで」では、
世界のフローラルアートを比較しており、日本のいけばなを含むフローラルアートの成り立ちも220頁から226頁で触れられています。
239から236頁には参考文献のリストも挙がっています。
『美しい日本のいけばな』(ジョサイア・コンドル/著 講談社 1999)は当館所蔵ありませんが、
大阪市立図書館、国立国会図書館などで所蔵しています。
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