釈翠岩墓所(しゃくすいがんぼしょ)は、中川公園(生野区中川東2丁目7番)の東南にあります。貞享元(1684)年、旧中川村に生まれ、私財を投じて村の発展に尽くした社会事業家、住吉屋太郎右衛門の墓です。
太郎右衛門は、生まれつき慈善心に富み、裕福な大地主でしたが、子宝に恵まれず、養子にした甥も早世します。無常を感じて玉造平野口に隠棲、剃髪して翠岩の法名を授かります。
仏門に帰依して以後、近郷11か所の石橋架設、道路修理など数多くの社会奉仕事業に取り組みます。元文4(1739)年、所有する一町六反歩(4,800坪)の田畑全てを村に寄付します。そこから得た収穫物を売り、神社仏閣の維持や窮民の救助に充てました。延享2(1745)年没。
彼が寄付した土地は、一部売却されたものの、現在も中川町財産区として管理運営され、地域の福祉事業に貢献しています。彼の遺徳は今も、東中川小学校の校歌に「郷土のほまれ すいがんの気高き心 受けついで ま心こめて 学ぶのだ」と歌われています。
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