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「すずしく青き」という三好達治の詩を読みたい。 8月/ヒナ/水脈 という言葉が詩の中に含まれているもの。(豊中市立図書館)

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『現代日本詩人全集11 全詩集大成 三好達治 丸山薫 田中冬二 立原道造 伊東静雄 津村信夫 』(東京創元社)に収録されているものを提供した。 回答プロセス:参考室の『現代日本文学綜覧シリーズ8 詩歌全集・作品名綜覧 上 あ~そ』でひくと、『現代日本詩人全集11』と『現代日本名詩集大成8』(創元新社)に三好達治の「すずしく青き」という詩が収録されている。 『現代日本詩人全集11』が野畑図書館の書庫にあり、取り寄せて内容を確認し提供した。 事前調査事項:千里図書館の書架にあった『近代の詩人9 三好達治』(潮出版社)『日本文学全集34 萩原朔太郎 三好達治 西脇順三郎集』(筑摩書房)『少年少女のための日本名詩選集12 三好達治』(あすなろ書房)を見たが、記載なしとのこと。 参考資料:『現代日本詩人全集 第11巻』創元社/編(東京創元社), 参考資料:『現代日本文学綜覧シリーズ 8‐[1]』(日外アソシエーツ),

古典文学で、桃の花と梅の花が同時に咲いているのを見て、自分の身の上になぞらえて興ざめだと述べるような内容のものを昔読んだ記憶がある。これをもう一度見てみたい。(豊中市立図書館)

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完全に該当するものは発見できず。徒然草第139段に、遅咲きの梅が桜に咲き合ったものは誰からももてはやされないし桜に圧倒される、という内容があり、こちらをご紹介した。また『国歌大観』より、梅・桃を含む和歌もごらんいただいた。 回答プロセス:和歌の可能性が高いとのこと、『和歌植物表現辞典』(東京堂出版)p345-348「桃」、p47-53「梅」を調べるが、取り上げられている和歌には該当のものはない。 国会図書館リサーチ・ナビ「和歌・俳句の検索」http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-101081.php および「物語のキーワードから文学作品を探す」http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-101124.php を参照し、データベース検索等を行うが、利用者の求める内容のものは発見できず。 『和歌植物表現辞典』によると、桃を取り扱った和歌は梅に比べ少ないとのこと。『ものと人間の文化史 157 桃』(法政大学出版会)の内容を確認する。万葉集における桃、平安期主流の和歌における桃についての項があり、後者のp69には、桃園に関連して梅の花を詠った拾遺和歌集の2首についての言及があり(歌番17・1007) 『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』(岩波書店)で内容を確認するが、利用者がお探しの内容ではない。『新日本古典文学大系 八代集索引』で「桃」を、CD-ROM『新編 国歌大観 Ver.2』のキーワード「梅」+「桃」(漢字・ひらがな双方を検索)を調べ確認するが同様。 Googleで「梅の花 桃の花 興ざめ 古典」で検索すると、徒然草・枕草子に関するサイト等がヒットする。これをもとに調べると、『徒然草 付現代語訳』(角川書店)のp118-119、第139段「家にありたき木は・・・」に、「おそき梅は、桜に咲きあひて、覚えおとり、けおされて、枝にしぼみつきたる、心うし」との文があり。p286-287の現代語訳によると、「遅咲きの梅は、桜と一緒に咲き合ったりして、誰からももてはやされないし、桜に圧倒せられて、枝にしぼんでついたりしているし、嫌なもんだ」とのこと。発見した中で最も近い内容であったこちらをご紹介した。 また、『新編 国歌大観 Ver.2』のキーワード「梅」+「桃」の検索結果も、合わせてごらんいただいた。 参考資料:『徒然草』[吉田 兼好/著](角川書店),

様々なものの単位について書かれた本を探している。(豊中市立図書館)

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『数え方の辞典』(小学館)をご提供した。 回答プロセス:当初、単位ということで数学(420)や度量衡・計量法(602)の棚から『図解よくわかる単位の事典』(KADOKAWA)、『トコトンやさしい単位の本』(日刊工業新聞社)を提供したが測量などの記述が多く求めているものに適さなかった。 聞き取りを進めるうちにものの数え方の本だと分かり、再度「数え方」などのキーワードで自館資料を検索。『数え方の辞典』(小学館)が適合したのでそちらを借りていただいた。 参考資料:数え方の辞典 飯田 朝子/著 小学館,

現在気象台で降水量の測定に使われている雨量計のしくみや大きさについてわかる本はあるか。シーソーのような仕掛けがあり、電流が流れることで雨量を測定していると聞いたが、図などがあれば見たい。(豊中市立図書館)

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『気象観測マニア!』や気象庁のサイトなどに、雨量計のしくみがあり。 回答プロセス:気象(451)の書架を探す。 『理科のおさらい 気象』(自由国民社)p118-120「地上気象観測」に、地域気象観測システム(アメダス)の説明があり、p120に図が載っている。この図を見ていただいたところ「降雨計」が該当するようだが、内部のしくみを見たいとのこと。 『新版 最新天気予報の技術 気象予報士をめざす人に』(東京堂出版)p170-171「地上気象観測 降水量:転倒ます型雨量計」に雨量計の説明があり、通常受水口は内径20cmの円形とあるが、詳しいしくみはない。 その場で見られるものがご希望とのこと、Googleで「雨量計 しくみ」で検索すると、気象庁のサイトの「雨量計/観測の原理」のページhttp://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kansoku_guide/b1.html (機械の内部の写真があり)や福岡管区気象台の「雨量計のしくみ」のページhttp://www.jma-net.go.jp/fukuoka/kansoku/uryoukei.files/rain.htm (水がたまったときにシーソー状に動くしくみ・電気が流れるしくみの図があり)がヒット。これらを見ていただいた。 後日、岡山県立図書館の事例http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129281 を参照し、『気象観測マニア!』(三推社)を取り寄せて内容を確認したところ、p40「雨を計る」に、雨量を測定する雨量計はデジタル「ししおどし」で目盛りはないなどの記載と、転倒ます型雨量計内部のしくみがあった。 参考資料:『気象観測マニア!』(三推社),

豊中市熊野町にある八坂神社はたいへん古い由緒ある神社だと聞いたが、このことについて詳しくわかる本はあるか。(豊中市立図書館)

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『こころのふるさと 豊中八坂神社』などに、熊野町の八坂神社の創建由緒などが詳しく載っている。 回答プロセス:郷土資料の書架を探す。 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p29「八坂神社」によると、花山法皇が諸国を巡遊した際、地形が紀伊の国の熊野に似ていることから熊野代(くまんだい)として熊野権現を祀ったのが起源と伝わっているとのこと。これが秋季祭に行われる獅子神事(市指定無形民俗文化財)で用いられる獅子頭は承暦2(1078)年に紀州熊野権現の獅子頭を模造したものであるとの伝承もあるとのこと。p26「宝珠寺」にも、花山法皇による建立との記載があり。宝珠寺には南北朝時代のものとみられる宝篋印塔2基などが現存する。 『こころのふるさと 豊中八坂神社 八坂神社御創建千年記念』(豊中八坂神社千年祭実行委員会)によると、平安時代の長徳2(996)年に河内石川寺の仏眼(ぶつげん)上人の進言により花山法皇が寺社を建立したのが豊中八坂神社のはじまりとされるとのこと。熊野田(旧村名)の由来ともあり。その後、老朽化した社殿が永正丙寅(1504)に足利義澄により再建され、天正年間に荒木村重の兵戦により社殿が破壊された後、慶安2(1649)年に現在の位置に再建されたとのこと。もともとの社名は葛上神祠(くずかみしんじ)であったが、弘治2(1556)年に牛頭天王と名を変え、さらに明治3年に神仏分離政策により八坂神社と社名を改めたとのこと。京都祇園社が八坂神社と改称したのは明治4年であるとの記載もあり。 なお八坂神社の獅子神事祭については『新修豊中市史 第7巻 民俗』(豊中市)p325-334に詳しい。 参考資料:『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課), 参考資料:『こころのふるさと 豊中八坂神社』[豊中八坂神社]千年祭実行委員会広報委員/編集(豊中八坂神社千年祭実行委員会), 参考資料:『新修豊中市史 第7巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市),

昭和30年代に豊中市桜塚(原田神社近辺)で、大阪電報局が女子寮として借りていた古い建物が現存しているか知りたい。部屋数も多く、兜や瓢箪などの昔の道具類が残された古い屋敷だったと聞いたことがある。当時の住所は桜塚本通3-38だったとのこと。(豊中市立図書館)

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『新修豊中市史』を調べる。豊中には大正時代より企業の社宅や寮などが多数存在したことの記載があるが、大阪電報局の寮に関してはふれていない。 大阪電報局に関する所蔵資料を調べたところ、『大阪中電のあしあと』という資料の所蔵があり。大阪電報局の正式名称が「大阪中央電報局」であることが判明。また「つぎつぎに設置された独身寮」という項目に、豊中の民家を借り入れて桜寮(女子)を開設と記載されている。小さいが写真もあり。ただし住所がなく、桜塚本通3-38にあったかどうかは確認できない。 『住居表示概要』によると、原田神社付近は昭和43年に住居表示が実施され、桜塚本通3丁目は現在の中桜塚2~3丁目と南桜塚1丁目のそれぞれ一部が該当する。しかし、38番地がどのあたりになるかわかる資料は発見できず。 現在の住宅地図で中桜塚・南桜塚を調べたところ、中桜塚3丁目に「桜塚寮」があり。昭和55年の住宅地図には同じ場所が「三井銀行桜塚荘」と表記されているため、桜寮とは別であると推察される。 上記より、大阪中央電報局桜寮の建物が現存するかどうかは不明な旨お伝えした。 参考資料:『大阪中電のあしあと』(大阪中央電報局), (188p)

桜井谷6カ村と言われた野畑・少路・内田・柴原・北刀根山・南刀根山の各村のうち、内田村だけは現在の地名に残っていないように思うが、現在の地名でいうとどのあたりかわかる本はあるか。(豊中市立図書館)

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『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名1』(平凡社)によると、内田村は現在の豊中市桜の町・上野西・上野坂・宮山・柴原・緑丘などにあたる地域。 『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)付図でおおまかな位置を見ることができる。 回答プロセス:『日本歴史地名大系 大阪府の地名1』を調べる。 p261-262に「内田村」について記載があり。永享元年(1429)の春日社神具料所摂州桜井郷本新田畠帳に名が見えるとのこと。「打田」とする文書もあり。 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店)p182-183「内田 うちだ 豊中市」には地名変遷の年代があり。 『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)で内田村に関する記載を調べると、p387「室町前期の土地台帳に見られる豊中市域の(小)村名」の図があり。前記今西家文書などを参照しており、内田村の位置が示されている。なおp447には、元亀元年(1570)から天正6(1578)年にかけての織田信長の摂津国攻略に関する記載の中で、所伝では元亀3年から開発が進められていたが、荒木村重の乱の際、内田村の百姓はみな逃散し、田畑が荒れたという、との記載があり。付図「豊中市大字小字図」で、内田村(同図においては「大字内田」)の詳細な位置を見ることができる。 参考資料:『日本歴史地名大系 28‐[1]』(平凡社), 参考資料:『角川日本地名大辞典 27』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編(角川書店), 参考資料:『新修豊中市史 第1巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市),

歌枕にもなった「邂逅山」という地名が豊中市にあるそうだが、どのあたりか。またこの地名はなんと読むのか。(豊中市立図書館)

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「邂逅山」は「たまさかやま」と読み、現在の大阪府池田市石橋付近にあたる。豊中市と箕面市の境にある待兼山の西方にあった。 回答プロセス:まず地名の読みについて、『日本歴史地名大系 28-2 大阪府の地名2』(平凡社)の索引を調べるが、音読み「カイコウ」では記載なし。 『日本国語大辞典 第2版』第3巻(小学館)p188「かいこう」を確認すると、邂逅の表記は万葉集などに多く見られるが、「たまさかに」と読まれていたらしい、との記載が補注にあり。 『角川古語大辞典』第4巻(角川書店)p207「たまさか」を確認すると、形容動詞「たまさか(偶・邂逅)」の項と、摂津国豊島郡の西国街道沿い、箕面市瀬川の西南に位置する地名「玉坂」(大阪府池田市石橋)の項があり。後者は「玉坂山」とも呼ばれ、待兼山とともに時鳥(ほととぎす)の名所であったとのこと。「玉坂山」の項目も同頁にあり。 『日本歴史地名大系 28-2』で「たまさか」の地名を調べると、玉坂山は『日本歴史地名大系 28-1 大阪府の地名1』p323に項目があるとのこと。確認すると、邂逅山・適逢山とも書き、千里丘陵の北西端にあたるとの記載があり。元良親王・壬生忠見などの歌に詠まれ、枕草子にも待兼山とともに名が見えるとのこと。同書p143-144「金龍寺(こんりゅうじ)」には、高槻市成合の同寺に能因法師ゆかりの邂逅池(たまさかいけ)があるとの記載もあり。 『文学にみる豊中の古迹』(鹿島友治)p5-8「待兼山 ほととぎすの名所」には枕草子が引用され、「まちかね山」「たまさか山」は一体のものとしてとらえられ、ほととぎすの異名「たまさかどり」からもほととぎすの名所として名高かったと思われる、との記載があり。池田市域であるが待兼山と一体であるとして、摂津名所図会にある玉坂村の伝説についてもふれている。 このほか『大阪府全志 巻之三』(大阪府)p1196-1198「大字玉坂」、『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店)p747-748「玉坂(池田市)」、『大阪府史 第五編 名勝旧跡』(思文閣)p437-439「千里山 附、待兼山、邂逅山、島熊山」にも玉坂山についての記載があり。 また『和歌の歌枕地名大辞典』(おうふう)p1066「玉坂(の)山(摂津)」には、池田市石橋あたりで名所として知られていたが、現在その名で呼ばれる山は不明とあり。 参考資料:『日本国語大辞典 第3巻』小学館国語辞典編集部/編集(小学館), 参考資料:『角川古語大辞典 第4巻』中村 幸彦/編(角川書店), 参考資料:『日本歴史地名大系28‐[2]』(平凡社), 参考資料:『日本歴史地名大系 28‐[1]』(平凡社), 参考資料:『文学にみる豊中の古迹』鹿島 友治/著(鹿島友治), 参考資料:『大阪府全志 巻之3』井上 正雄/著(清文堂), 参考資料:『角川日本地名大辞典 27』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編(角川書店), 参考資料:『大阪府誌 第5編』大阪府/編纂(思文閣), 参考資料:『和歌の歌枕・地名大辞典』吉原 栄徳/著(おうふう),

昔は阪急電鉄豊中駅付近に新免という大字があったというが、現在のどのあたりかわかる本はあるか。(豊中市立図書館)

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『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名1』などに新免地域(旧新免村)について記載があり。おおむね現在の阪急電鉄豊中駅~岡町駅付近がかつての大字新免にあたる。 回答プロセス:地名関連の書架を探す。 『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名1』(平凡社)p265に「新免村」の項目あり。現在の豊中市本町1丁目~9丁目、玉井町1丁目~4丁目、上野西1・2丁目、岡上の町1丁目~4丁目にあたる地域。永享元年(1429年)の畠帳地名肩書に名が見える。慶長10(1605)年の摂津国絵図では「神明」と記されているとみられるとのこと。 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店)p646「しんめん 新免(豊中市)」にも、新免村についての記載があり。「しんめ」ともいい、近代においては明治22年に豊中村の大字となったのち、昭和17年から39年にかけて地名変更が行われたとのこと。 また『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)付図「豊中市大字小字図」で新免村の範囲を調べると、大字「新免」と大字「南轟木」が非常に入り組んでいることが判明。なお凡例の豊中市域全体図「近世豊中の村々」には「新免(南轟木)」と示されている。 再度『角川日本地名大辞典 27』を調べる。p1172によると、「みなみとどろき 南轟木」は明治15~22年の村名で、もとは轟木村であったが、豊島郡内に同名の村があったため改称したとのこと。昭和39年までの大字名。p828「とどろきむら」によると、轟木村は現在の池田市域と豊中市域にあり、池田市域の村は明治15年に北轟木村となっている。 『日本歴史地名大系 28』p266「轟木村」には、新免村の枝郷との記載があり。現在の立花町1~2丁目、末広町1~3丁目、岡町北1~3丁目などとのこと。 これらをごらんいただいた。 なお、『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)p285「第三章 中世前期社会の様相 第三節 市域周辺の荘園と公領」に新免村について、今西家文書の中の「春日社桜井郷本新田畠帳」などに名が見え、中世には箕輪付近まで及んでいたとの記載があり。 参考資料:『日本歴史地名大系 28‐[1]』(平凡社), 参考資料:『角川日本地名大辞典 27』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編(角川書店), 参考資料:『新修豊中市史 第1巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市),

三島由紀夫の小説で、豊中を舞台にしているものがあり、映画にもなったと聞いたが、なんというものか。また、ほかに豊中を舞台にした小説があれば知りたい。(豊中市立図書館)

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『文学にみる豊中の古迹』(鹿島友治)によると、三島由紀夫の『愛の渇き』が豊中の熊野田を舞台にしている。 このほかの豊中を舞台にした文学作品については下記。 回答プロセス:郷土資料の書架を探す。 『文学に見る豊中の古迹』には下記の小説が紹介されている。 『愛の渇き』(三島由紀夫):熊野田 『お月様と犬』(槇さえ):庄本 『閑古堂日録』(石塚嘉門):原田神社 『石を投げる』(小椋鳥黄):庄内 『三重のお茶屋さん』(加藤とみ子):新千里 『青春』(石丸梧平)熊野田・岡町・蛍池 『玄関の孤独・家』(小寺正三)熊野田・岡町 また『大阪近代文学作品事典』(和泉書院)に掲載されている中で、豊中を舞台または舞台の一部にしたものは下記のとおり。なお、特に記載のないものは舞台が「豊中」または「豊中市」。 『アルキメデスは手を汚さない』(小峰元) 「愛しのわが家」(難波利三、『藝人洞穴』に収録):千里 「うろこ落とし」(黒川博行、『カウントプラン』に収録) 「女予言者」(黒岩重吾、『黒岩重吾全集』26に収録) 『ガラスの庭』(黒岩重吾) 「キール・ロワイヤル」(尾川裕子、『星祭り』に収録):伊丹空港 『危険な年齢』(阿部牧郎):千里中央 『結婚の条件』(源氏鶏太) 「幸福の隣で」(藤沢桓夫、『新・大阪物語』に収録) 「最後のプレゼント」(黒岩重吾、『夜の波』に収録) 「寂しからずや」(井上友一郎、『日本現代文学全集 94 北原武夫・井上友一郎・田村泰次郎集』に収録) 「黄昏の悲戯」(難波利三、『通天閣夜情』に収録) 『蓼喰う虫』(谷崎潤一郎) 『土の器』(阪田寛夫) 「荷作りはもうすませて」(田辺聖子、『ジョゼと虎と魚たち』に収録) 「二兎を追う」(黒川博行、『燻り』に収録):千里 『北摂の三姉妹』(本多隆朗) 「火中に立ちてとひし君はも」(広実輝子、『ほむら野に立つ』に収録) 『御堂筋殺人事件』(内田康夫) 「夢とぼとぼ」(田辺聖子、『田辺聖子珠玉短編集』に収録):伊丹空港 『李歐』(高村薫):豊中市待兼山町 『六白金星』(織田作之助) このほか、大阪ブランド情報局のサイトの「時代を超えて読みつがれる大阪の文学 巨匠・名作・名場面(PDF)」http://www.osaka-brand.jp/panel/books.pdfによると、高橋三千綱は豊中生まれで、「親父の年頃」(当館所蔵資料では『彼の初恋』講談社に収録)には豊中市の生家を訪ねるくだりがあるとのこと。 なお『大阪文学地図』(編集工房ノア)には、『アルキメデスは手を汚さない』の解説があり。 参考資料:『文学にみる豊中の古迹』鹿島 友治/著(鹿島友治), 参考資料:『大阪近代文学作品事典』浦西 和彦/編(和泉書院),

小論文の書き方や、文章の要約の方法が載っている本はあるか。高校生の指導のため、参考となるものを探している。(豊中市立図書館)

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文章の書き方についての書架などを探し、下記の本をご紹介した。 <小論文に関する入門書的な資料> 『「考える」ための小論文』(ちくま新書) 西研,森下育彦/著 筑摩書房 1997.5   『小論文トレーニング』(岩波ジュニア新書) 貝田桃子/著 岩波書店 2003.2   『小論文に強くなる』(岩波ジュニア新書) 轡田隆史/著 岩波書店 2000.3   『知的生活を楽しむ小論文作法』高校生からの小論文(三一新書) 鷲田小弥太/著 1992.6   『書く力をつけよう』 手紙・作文・小論文(岩波ジュニア新書) 工藤信彦/著 岩波書店 1983.11 『カリスマ先生の小論文・作文』 樋口裕一/著 PHP研究所 2006.7 『実践的小論文講座』 島田久美子/著 遊友出版 2011.8   『田中メソッドで書く大学受験小論文』 田中保成/著 土屋書店 2011.4 『書きかたがわかるはじめての文章レッスン』4 学研教育出版 2013.2 <要約の作法についての資料> 『話は5行でまとめなさい』横江公美 ビジネス社 2009.9     『できる人の要約力』本間正人 浮島由美子 中経出版 2008.11     『国語力をつける勉強法』和田秀樹 東京書籍 2007.8     『「要約の学習」で読みの力をつける』 大久保 伸夫 学事出版 2011.3 事前調査事項:『要約力』という本は読んだが、希望の内容と違った。 参考資料:『「考える」ための小論文』西 研/著(筑摩書房), 参考資料:『小論文トレーニング』貝田 桃子/著(岩波書店), 参考資料:『小論文に強くなる』轡田 隆史/著(岩波書店), 参考資料:『知的生活を楽しむ小論文作法』鷲田 小弥太/著(三一書房), 参考資料:『書く力をつけよう』工藤 信彦/著(岩波書店), 参考資料:『カリスマ先生の小論文・作文』樋口 裕一/著(PHP研究所), 参考資料:『実戦的小論文講座』島田 久美子/著(遊友出版), 参考資料:『田中メソッドで書く大学受験小論文』田中 保成/著(土屋書店), 参考資料:『書きかたがわかるはじめての文章レッスン 4』金田一 秀穂/監修(学研教育出版), 参考資料:『話は5行でまとめなさい』横江 公美/著(ビジネス社), 参考資料:『できる人の要約力』本間 正人/著(中経出版), 参考資料:『国語力をつける勉強法』和田 秀樹/著(東京書籍), 参考資料:『「要約の学習」で読みの力をつける』大久保 伸夫/著(学事出版),

マンタの載っている魚類図鑑を見たい。できれば大人向けのものを希望。(豊中市立図書館)

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『原色日本海水魚類図鑑』(保育社)の索引を見るが、「マンタ」の項目は見あたらない。『原色魚類大図鑑』(北隆館)も同様。 『日本国語大辞典』12(小学館)を調べると、p578「マンタ」に、おにいとまきえい(鬼糸巻鱝)に同じとあり。マンタは英名とのこと。 再度「イトマキエイ」で上記の魚類図鑑を調べたところ、『原色魚類大図鑑』p59にオニイトマキエイの項目があり、英名Atlantic Manta、学名Manta birostris(Donndorff)とあり。分布域や体の特徴、性質と、カラーイラストも載っている。 なお『原色日本海水魚類図鑑』には、イトマキエイ(学名Mobula japonica)の項目はあるが、オニイトマキエイは載っていなかった。 また『日本の海水魚 フィールドベスト図鑑No.7』(学研)p15にはイトマキエイの項目と写真があり、これよりさらに巨大な近縁種オニイトマキエイが本来マンタと呼ばれているとの記載はあるが、オニイトマキエイの写真はなし。 『海中大図鑑 沖縄の海』(データハウス)p21にはオニイトマキエイの写真はあるが、解説は載っていなかった。 このほか、マンタについては『マンタの海 人と自然のカラーアルバム』(くもん出版)『マンタ・ログ 62 石西礁湖・ヨナラ水道 マンタウォッチング』(ダイビングツアーセンター)の所蔵があるが、今回はご案内せず。 当館で所蔵していない本については、香川県立図書館の事例http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000046568 が詳しい。 参考資料:『日本国語大辞典 第12巻』小学館国語辞典編集部/編集(小学館), 参考資料:『原色魚類大図鑑』(北隆館),

豊中市の北部で、柴原から刀根山へ行く途中に「ウマザカ」という坂があり、夜ここを通ると馬の首が転げて落ちてくるという伝承がある旨、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースに記載がある。このウマザカは具体的にどの道なのかわかる資料はあるか。また豊中市内の妖怪伝承が載っている資料も教えてほしい。(豊中市立図書館)

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ウマザカについては、下記の資料に記載があり。 『新修豊中市史 第7巻 民俗』(豊中市)に「馬坂 天神山から西の方向に馬坂という坂があり」と記載あり。また別の項目にも「天神山のふもとのゴウグラ(郷蔵)の跡地に柴原会館が建てられた」という記述もあり。 『わが村わが町柴原~柴原天神合祀100年記念祭にちなんで~』(柴原天神合祀100年記念祭実行委員会)の表紙には、柴原村の昔の絵図が使われてあり、その中に“馬坂”という文字とともに道が描かれている。この資料には1ページ目に柴原の名所旧跡・地図(昭和36年豊中市大字小字地図)があり。“馬坂”の場所も番号がつけられているため、おおよその場所が特定できる。また同資料には、「柴原の天神碑」について、「当時境内の西には馬坂と呼ばれる新免から箕面の半町、瀬川に通じる急坂があります」「馬坂のふもとには馬の首塚『榊墓』があったが、中央環状線の建設時に行方不明となっています。」などの説明もあり。 『櫻井谷郷土史 前編 下巻』(豊中市教育研究会「豊中の歴史」部会)の“祭礼 天神社”のところでは、「此境内の西之急坂(新免ヨリ半町瀬川ニ通スル道路ナリ)ヲ俗称馬坂と称シ(中略)其降リ尽クシタル所道路ノ南ニ榊墓ト刻サル一石碑今現ニ(大正九年ノコト)存在シ居リテ、里俗馬塚ト称セリ。」と、上記同様の記述があり、大正9年には馬塚があったことがわかる。また、この記述のところにも柴原村の絵図が掲載されている。 なお『わが村わが町柴原』記載の豊中市大字小字図は、『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)付図とほぼ同一のものであるため、その図と絵図を照らし合わせ、さらに『ゼンリン住宅地図 豊中市2 北部』(ゼンリン)で現在の場所を推測する。 「二尾池」「天神前」等の地名から、ウマザカは柴原4丁目付近ではないかと推察されるが、断定は困難とお伝えした。。 また、豊中市内の妖怪伝承については、『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)に「大鐘とろくろ首の娘」や「河虎の渡し」、「大くもの松」「ゆうれいになった代官」などの話が記載されているほか、『豊中 たずねある記』(サンケイ新聞生活情報センター)には、きつねやたぬきにばかされたという話が多く掲載されている。 刀根山小学校校区のまち歩きに参考となる本をお探しと言うことだったため、同校区のことが記載されている下記の資料も合わせてごらんいただいた。 『ふるさとめぐり(自由裁量時間の活用)第2集』 『豊中の史跡 たずね描き』(豊中市立教育研究所) 『とよなか歴史文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会) *柴原の天神碑について記述および地図あり 『とよなか史跡巡り』(瀧健三) 『とよなかの史跡・余話』(瀧健三) 事前調査事項:国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2180069.shtml 参考資料:『新修豊中市史 第7巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市), 参考資料:『わが村わが町柴原』柴原天神合祀100年記念祭実行委員会/編集(柴原天神合祀100年記念祭実行委員会), 参考資料:『櫻井谷郷土史 前編 下巻』松井 重太郎/著(豊中市教育研究会「豊中の歴史」部会), 参考資料:『新修豊中市史 第1巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市), 参考資料:『ゼンリン住宅地図 大阪府豊中市 2』(ゼンリン), 参考資料:『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著(鹿島 友治), 参考資料:『豊中たずねある記』鹿島 友治/著(サンケイ新聞生活情報センター), 参考資料:『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著(豊中市立教育研究所), 参考資料:『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課), 参考資料:『とよなかの史跡巡り』瀧 健三/編集(瀧 健三), 参考資料:『とよなかの史跡・余話』瀧 健三/編集(瀧 健三),

旧暦八月一日に行われる行事「八朔」にはどんな由来があるかわかる本はあるか。(豊中市立図書館)

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『年中行事大辞典』などに、八朔についての記載があり。 回答プロセス:民俗(386)の書架を探す。 『年中行事大辞典』(吉川弘文館)p568-569「はっさく 八朔」およびp569-570「はっさくのおせっく 八朔の御節供」などに、八朔の行事についての記載があり。8月1日に目上の人に進物を献じる風習を「八朔」というとのこと。また八朔(旧暦八月朔日)を正月・盆と並ぶ節日として仕事を休むこと、この日から昼寝がなくなり夜なべ仕事が始まるとも言われたことなどの記載もあり。五節供にも二十四節気にも入っていないが、稲の穂が出る時期・台風シーズンにあたることからの節目かとの推察があり。 『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社)p24「八朔」には、八朔は陰暦八月朔日の略、朔はついたちのこと、として、農村における稲などの豊作を祈願する行事と紹介されている。p181「八朔の祝 はっさくのいわい」にも、各地の風習などがあり。 『新修豊中市史 第7巻 民俗』(豊中市)p219「9月の行事」によると、豊中市域において旧暦の8月1日(八朔)はムラヤスミで、特別な行事はなかったが多くの家ではオハギを作って食べたとのこと。八朔盆(はっさくぼん)と呼ぶ地域もあり。またこの日から昼寝をしなくなる家が多く見られたとの記載もあり。 参考資料:『年中行事大辞典』加藤 友康/編(吉川弘文館), 参考資料:『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社), 参考資料:『新修豊中市史 第7巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市),

現在、議会報は市議会事務局の会報制作委員会で作成しているが、予算は総務費から出されている。この予算組みを変更し、議会費から作成するとした場合の法的根拠や概念的な捉え方、また議会報に対する予算の基本的な考え方などについて書かれた本はあるか。(豊中市立図書館)

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まず議会情報についての考え方として、『地方議会運営事典 改訂版』(ぎょうせい)を調べる。 “議事公開の原則”という項目に「地方公共団体の議会の会議は、これを公開する(自治法115 1)とする会議公開の原則に基づくものである。なお、公開とは、傍聴の自由、報道の自由、記録の公表をその内容とする。」と記載されている。また、同書の“情報公開制度”のところには「情報公開の実施機関については(略)議会についても、全都道府県、1,799市区町村で対象としている」とあり。 次いで予算の考え方についてであるが、『必携自治体職員ハンドブック 第一次改訂版』(公職研)には一般的および基本的なものとして予算の意義や原則などが記載されている。また予算の現況については『自治体の外部評価 事業を見直すための行政評価の活用策』(学陽書房)に、予算の効率・効果的な考え方については『役所の経営改革 目指せ!ハイパフォーマンス・ガバメント』(日本経済新聞出版社)にも記述があり。 議会報についての考え方では、『地方議会の底力』(ぎょうせい)に、委員会の役割について「・・・議会広報は毎年四回定例会後に発行するのであるから議会広報常任委員会とすべきである。・・・議案の審査又は議会の運営に関し協議又は調整を行う場における活動は、公務性があり費用弁償の支給や公務災害の対象になった・・・」と記載されている。また費用弁償については、『Q&A議会運営ハンドブック』(ぎょうせい、豊中市未所蔵)にも関連の解説があり。 これらの資料をご紹介した。 参考資料:『地方議会運営事典 改訂版』地方議会運営研究会/編集(ぎょうせい), 参考資料:『必携自治体職員ハンドブック 第一次改訂版』公職研編集部/編(公職研),

太陽ロビンスに所属していたプロ野球選手で故人の、真田重蔵という選手のプロフィールがわかる本はあるか。1995年前後に亡くなったと記憶している。(豊中市立図書館)

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『現代物故者事典 1994~1996』『プロ野球人名事典 1999』などに記載があり。 回答プロセス:『スポーツ人名事典 新訂第3版』(日外アソシエーツ)を調べるが、真田重蔵の項目なし。 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ)を調べると、p269に項目あり。大正12(1923)年生、平成6(1994)年5月30日没。旧制海草中学(2010年時点では向陽高校)のエースとして昭和14年・15年の全国大会で優勝し、昭和18年朝日に入団、松竹・阪神などで活躍。大阪の明星高校監督として昭和38年夏の甲子園大会で優勝などの経歴があり。平成2年に野球殿堂入りとのこと。 『プロ野球人名事典 1999』(日外アソシエーツ)p220にも項目があり、野球選手としての成績や所属球団と期間が載っている。 『高校野球 甲子園全出場校大事典 増補改訂版』(東京堂出版)p450-451に向陽高の校史・部史があり、昭和14年~16年の戦績が詳しい。またp402「明星高」には真田重蔵監督就任の記載もあり。 さらに所蔵の朝日新聞縮刷版を調べたところ、1994年5月31日に死亡記事があり、ごらんいただいた。 なお後日出版された『野球殿堂 2012』(ベースボール・マガジン社)p98に年度ごとの詳しい投手成績・打撃成績やタイトルなどがあり。 『日本プロ野球ユニフォーム大図鑑』中(ベースボール・マガジン社)p6-51「横浜DNAベイスターズ」に、太陽ロビンスのユニフォームや球団史などがあり。 『昭和プロ野球「球場」大全』(洋泉社)p222-223にプロ野球球団の本拠地球場変遷一覧があり。 『日本プロ野球 追憶の「球団」史』(ベースボール・マガジン社)p94-95「松竹ロビンス」には最多奪三振のタイトルホルダーとして46年真田重蔵の名があり。なお同頁およびp86-87「球団変遷図」によると、チーム名は大東京→ライオン→朝日→パシフィック→太陽ロビンス→大陽ロビンス→松竹ロビンスから大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンス→大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ→横浜DNAベイスターズ(2013年)。 『日本プロ野球背番号物語』(ベースボール・マガジン社)p159-160「背番号の系譜」によると、昭和18(1943)年から、昭和23年に重男に改名後、昭和26年まで真田重蔵の背番号は18であったとのこと。 参考資料:『現代物故者事典 1994〜1996』日外アソシエーツ株式会社/編集(日外アソシエーツ), 参考資料:『朝日新聞縮刷版 1994 5』(朝日新聞社), 参考資料:『高校野球甲子園全出場校大事典』森岡 浩/編(東京堂出版), 参考資料:『野球殿堂 2012』野球体育博物館/編(ベースボール・マガジン社), 参考資料:『日本プロ野球ユニフォーム大図鑑 中』綱島 理友/文(ベースボール・マガジン社), 参考資料:『プロ野球人名事典 1999』森岡 浩/編著(日外アソシエーツ), 参考資料:『日本プロ野球背番号物語』(ベースボール・マガジン社),

昔の豊中の公民館長だった学者の人が東洋初のロボットを作ったと聞いたことがあるが、このことについて詳しく知りたい。(豊中市立図書館)

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ロボットの名は学天則、作成者は西村真琴。『奇想科学の冒険』などに学天則についての記載があり。 回答プロセス:当館所蔵の新聞記事データベースを調べる。 朝日新聞記事データベースでは「(勝手に関西世界遺産)学天則 宮田珠己 【大阪】 」(2008年8月7日夕刊)などがヒット。ロボットの名は学天則、作成者は西村真琴。大阪市立科学館に復元したレプリカがあるとのこと。 読売新聞記事データベースでは「[異才列伝]西村真琴 「東洋初のロボット」汚れなき理想」(2011年2月6日朝刊)がヒット。『奇想科学の冒険』(平凡社)『地球は人間だけのものではない』(ゆいぽおと)に西村真琴について詳しいとあり、市内他館から取寄せて内容を確認する。 『奇想科学の冒険』(平凡社)p171-195「ロボットは聖君子の夢を見るか 西村真琴」に学天則の詳細と、西村真琴の略歴などがあり。北海道帝大水産専門部教授(植物学)から大阪毎日新聞論説員学芸部顧問となり、昭和3年に京都で開催された昭和天皇御大礼記念博覧会に、文字を書き微笑むロボットを出展したとのこと。学天則の名は「天則に学ぶ」(生物の自然の理法、植物学に基礎をおいた共存共栄の理念に従う)という意味からの命名とあり。その後昭和7年には上海を訪れて傷ついたハトを連れ帰ったことから魯迅に詩を贈られたこと、戦後には豊中市議会議員・豊中市公民館長を勤めたことなどが記載されている。 また『地球は人間だけのものではない エコロジスト西村真琴の生涯』(ゆいぽおと)は豊中市制施行50周年を記念した、真琴の次男で俳優の西村晃による講演をきっかけにまとめられた西村真琴の伝記。学天則についてはp79-85に記載があり。 このほか『新修豊中市史』第2巻通史2・第11巻社会教育(豊中市)を調べたが、西村真琴についての記載は多数あるものの、学天則についてはふれられていなかった。 なお西村真琴と魯迅については、http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129900 に詳しい。 参考資料:『奇想科学の冒険』長山 靖生/著(平凡社), 参考資料:『地球は人間だけのものではない』畑中 圭一/著(ゆいぽおと),

砂利採取業に必要な資格・認可、業界の状況などがわかる本はあるか。特に国内・海外の生産量、輸出入の状況などについての統計がわかるとなおよい。海外の統計については英語でも可。(豊中市立図書館)

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『業種別審査事典 第12次』第3巻や、USGS(アメリカ地質調査所)のサイトなどをご案内した。 回答プロセス:『業種別審査事典 第12次』(金融財政事情研究会)を調べる。第3巻p640-646「砂利採取業」によると、砂利(砂及び玉石を含む)の採取(洗浄を含む)を行う事業である砂利採取業は、砂利採取法により業者登録・砂利採取計画の認可が必要。また、砂利採取業務主任者を置く必要がある。なお砂利は重量物で輸送のコストが高く供給範囲が限定され、地域内の需給状況により価格が形成され地域差が大きいこと、需要の端境期に価格が変わることなどの記載があり。 砂利採取業務主任者については、『資格取り方・選び方オールガイド 2015年版』(日本文芸社)p376、『建設関係資格取得マニュアル 平成23〜24年版』(地域開発研究所)p36に記載があり。 また砂利の定義については、『建築大辞典 第2版』(彰国社)をごらんいただいた。 さらに大阪府のサイトの岩石・砂利の採取情報(採石法・砂利採取法)のページhttp://www.pref.osaka.lg.jp/kasenkankyo/saiseki/を確認し、大阪府都市整備部河川室に問い合わせる。 豊中市内であれば、2014年9月現在、砂利採取計画の認可は大阪府が行っている。しかし近年府内では採取計画の申請はないとのこと。経済産業省のサイトに統計がある旨ご教示いただく。 経済産業省 住宅産業窯業建材のページhttp://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/jyutaku/を確認すると、砂利採取業務状況報告書集計表、砕石等統計年報(リンク)があり。こちらをご紹介した。 また『業種別審査事典』より、業界団体である一般社団法人日本砂利協会のサイトhttp://www.disclo-koeki.org/06a/00836/ を確認すると、参考資料(PDF)に、平成24 年度における砂利採取場数、従業員数及び採取量や、昭和42年度~平成24年度の骨材需給表があり。こちらもごらんいただく。 世界の砂利生産量や砂利の貿易統計については資料を発見できず、大阪府立中之島図書館・ジェトロビジネスライブラリー大阪に問い合わせたところ、下記のサイトをご教示いただいた。 <世界の砂利生産量について> USGS(U. S. Geological Surbey)(英語) http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/country/ Minerals Informationのcountryに、アメリカを始め世界各国の情報があり。それぞれの国の統計情報機関のサイト(現地の言葉)へのリンクもあり。 また、commodityのMineral Commodity Summariesにも、PDFで世界各国の生産量一覧があり。砂利はSand & Gravel/Industrialに含まれると推察される。 <砂利の貿易統計について> 国連の統計では、United Nations: International Merchandise Trade Statistics Publication http://comtrade.un.org/pb/first.aspx(英語)に、各品目の貿易統計があり。砂利はStone, Sand and Gravel に含まれると推察される。 日本への輸出入については、財務省貿易統計(http://www.customs.go.jp/toukei/info/index.htm)から検索可能。ただし、小石・砂利・砕石はすべて同じHSコード「HS2517」で、砂利のみの統計はなし。 後日、これらのサイトについても利用者にお伝えした。 なお、『日本統計年鑑 第63回(2014)』(日本統計協会)の索引で「砂利・砂・石材」を調べると、貨物輸送関連の統計があることが判明したが、今回はご紹介せず。 参考資料:『業種別審査事典 第3巻』金融財政事情研究会/編(金融財政事情研究会), 参考資料:『建築大辞典』彰国社/編(彰国社), 参考資料:『資格取り方・選び方オールガイド 2015年版』日本文芸社/編(日本文芸社), 参考資料:『建設関係資格取得マニュアル 平成23〜24年版』地域開発研究所/編集(地域開発研究所), 寄与者:大阪府立中之島図書館 ジェトロビジネスライブラリー大阪 備考:コトバンクhttp://kotobank.jp/word/USGS によると、USGSの日本名はアメリカ地質調査所。

いろいろな野菜の根っこがのっている本を探している。絵でも写真でもよい。(豊中市立図書館)

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『野菜と果物 小学館の図鑑NEO 』 『たべられるしょくぶつ 『植物記』 回答プロセス:植物(470)園芸(626)料理(596)の成人室、児童室の棚、児童室絵本の棚を探す。 『野菜と果物 小学館の図鑑NEO 』に、いろいろな野菜の写真があり、根まで写っているものが多い。 また、絵本の『たべられるしょくぶつ』に、絵があり。 『植物記』p138にも、いろいろな植物の土の中の根の写真があり。 参考資料:『たべられるしょくぶつ』森谷 憲/ぶん(福音館書店), 参考資料:『野菜と果物』板木 利隆/[ほか]監修・執筆(小学館), 参考資料:『植物記』埴 沙萠/著(福音館書店),

ハチ高原(ハチ北)について、自然についての観光ガイドなど、資料はないか。小学校の林間学校でしおりを作成するのに参考にしたい。(豊中市立図書館)

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参考欄の資料を提供。 参考資料:『探訪ひょうごの天然記念物』須田 京介/文(神戸新聞総合出版センター), 参考資料:『ふるさと兵庫 50+8山』兵庫県山岳連盟/編(神戸新聞総合出版センター), 参考資料:『関西キャンプ場』(山と渓谷社), 参考資料:『なるほど知図帳 兵庫』(昭文社), 参考資料:『ひょうご自然探検ハンドブック』本庄 四郎/編著(神戸新聞総合出版センター),
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