命名の由来については、①『伊丹郷町物語』(真鍋禎男 著/伊丹市/1990) p17~18に、「地名にまつわる伊丹の伝説によると、「有岡」は「有明の岡」がつづまったもので、その岡には薬師如来の後光がさんぜんと輝いていたという。「有明」とは「月がまだ天にあるうちから夜が明け始めること」。前途が明るく広がる。池田氏の家臣にすぎなかった村重が一国の領主になる下克上の世。伊丹城を有岡城と改名した村重は、天下取りの夢を思い描いていたのかもしれない。・・・」と記述があります。
②『有岡古続語』(梶曲阜1865)(『伊丹市文化財調査報告書 7』(伊丹市教育委員会 編/伊丹市文化財保存協会/1978)に所収) には、「伊丹をありおかの里といふ事極めて有明の岡といへる三字をもて中略して有岡といふと見えたり、まことに古言也、猪名寺村法園寺ハ法道仙人の開基、本尊薬師の霊像光明を放ちて此岡をてらし給ふるゆへ、時の人有明の岡と称すとあり、法道ハ孝徳天王皇の御宇とあれは・・・」と記録されています。
③『伊丹ウォッチング』(安達文昭 著/伊丹歴史研究会/1995) p28 では、「信長配下の摂津守・荒木村重が居城の名称変更に踏み切ったのは、前任者の氏姓たる「伊丹城」を廃さんがためだ。(中略)、真相は「有明けが岡」の略称だったらしい。」とし、②の紹介と解説を踏まえて、「古来、伊丹の地に「有岡」なる異称があったことは事実であろう。そうした”故事”にちなみ、荒木村重が「有岡城」と命名したものと考えられる。」と結んでいます。
(参考)
城名の改称にあたっては、『国別戦国大名城郭事典』(西ケ谷恭弘 編/東京堂出版/1999.12) p173に、「天正ニ年、伊丹城落城後は、荒木村重が入城し、信長の許可を得「有岡城」と城名を変更し、・・・」とあります。
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